見出し画像

高知の秘境~大川村訪問記「大川村での仕事」

2022年7月29日(金)から30日(土)に高知県土佐郡大川村に日本GR協会の吉田さん、『地方公務員オンラインサロン』(株式会社ホルグ運営)に参画中の島田さん(埼玉県さいたま市)、琴原さん(奈良県御所市)と私の4名で訪問する機会に恵まれました。

高知県土佐郡大川村の全景
(引用:大川村ホームページ)

大川村は”(ほぼ)最も人口の少ない地方自治体”で人口は363人(22年6月30日時点)。島しょ部を除いた地方自治体で最も人口が少なかったのですが最新の国勢調査の結果では最下位を脱出しています。それでも363人と(ほぼ)最小の自治体。

少し大川村についてお伝えしますと、四国のほぼ真ん中に位置し、非常に急峻な地形です。

通称「四国のおへそ」の嶺北地域の大川村
(引用:asahi.com)

平坦な土地がないので農地に恵まれず、工場を建てることにも限界があります。抗えない歴史かもしれませんが日本が近代化の道を進んだ昭和時代に村の基幹産業であった白滝鉱山が閉山し、早明浦(さめうら)ダム建設により村の中心部がダム湖に水没した過去があります。更にダムの所在地が近隣の本山町と土佐町であるため大川村には固定資産税が入ってきません。日本の近代化の影で大川村は一身に運命を受け入れて来たとも言えるのかもしれません。

「四国の水がめ」とも呼ばれる早明浦ダム全景
(引用:国土交通省)

大川村の和田村長(大川村出身)は座して待たずの改革派で歴史を悔やむことなく「ダムが出来てしまったのは仕方ない」と職員を鼓舞し、特産はちきん地鶏や大川牛を開発・加工・販売し(食鳥向けの加工場を林を切り開いて新設!)、村の子供たちの教育に力を入れ、移住者が大川村で生活出来るように村長自らがフォロー面談し、と八面六臂のフル回転で全国を飛び回っています。

この記事では村づくり推進課の矢野さんから伺った「大川村での仕事」についてお伝えします。

村づくり推進課の矢野さんから大川村の仕事についてお伺い

まず、大川村の村役場には20-30人の職員がいます。郵便局は数人。農協も数人。社会福祉協議会も数人。森林組合は10人程度。土木は10人程度。

一般社団法人大川村ふるさと公社は昭和60年に設立された大川村の観光事業やふるさと村推進事業などを運営する事業体で、20人程度。

花の栽培事業は5-6人。
学校には10人弱。
宿泊、道の駅・商店、診療所、その他兼業の農家の方々。。

特に近年は移住者の方が村内で起業するケースも出始めているとのこと。
ツアーガイドやWebデザインの仕事で起業をされているようです。

例えば、花の栽培事業であれば急峻で標高の高い地形を生かし時期をずらして販売するなど、置かれた状況・環境を活かして差別化を図ろうと試みている点は民間で戦略立案や実行を担当している私には刺激的でした。

何より職員の方が村民の暮らしに日々目配り・気遣いし、現状を常時把握し、コンタクトしている姿は行政と村民の関係について考える上で私なりに大きなヒントになったように感じました。

歴史的にも地形など環境面からも見ても苦境にあるものと勝手に思いを巡らせていたのですが、私が最も心を打たれたのは村長の反骨精神と職員の故郷を誇る姿でした。

私たちに村の歴史を語り、村民の仕事を伝え、村中を案内し、特産を自慢し、村を飛び立った同郷の仲間を誇っていました。私が普段、民間の教育会社で勤務していることを自己紹介の中で伝えると「同じ業界に●●さんという人がいると思う。彼は大川村出身だよ」と教えて頂きました。

特産はちきん地鶏は山を駆け抜けた筋肉質な鳥さん。瑞々しくて本当に美味しい

関東のベッドタウンで育ち、東京で暮らす私には首長自らが住民一人一人の顔を思い浮かべ、気に掛けていることに本当に驚き心を打たれました。何か大川村のためにできることはないか思案し行動に移せればとの想いを新たにしたところです。

和田村長、むらづくり推進課の近藤課長と一緒に大川村役場前で撮影したこの写真を私の妻が後日見て「村長が一番若々しい目をしている!」と言っていました。

左から村づくり推進課:近藤課長、私、和田村長、日本GR協会:吉田さん、奈良県御所市:琴原さん、埼玉県さいたま市:島田さん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?