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携帯電話

RADWIMPSの「携帯電話」という曲を聴いて、改めて考えさせられることがあった。
私は人間関係を築くことが得意ではない。
今までに何十人、何百人もの人と携帯電話を通じて繋がってきた。
今ではこの携帯電話が生活必需品となっている。
しかし、たまに手放したくなる時がある。こんなものでしか繋がっていられないような関係性なんて必要ないと思う時がある。
私にとって、相手の表情や言動が目に見えないとコミュニケーションを取ることはとても難しいと感じる。
携帯を使うことで簡単に人とつながることができるし、誰かに寄り添うこともできる。
しかし、簡単で便利だからこそ、その分の弊害がある。
返信するベストなタイミングなんてわからないし、相手からの返信を待つもどかしさもあるし、表情やテンション感がわからないから文章は読み取れないし。
こういうのをいちいち考えるのが大変だし、疲れる。
だからこそ、携帯なんていらないやって思うこともあるが、人と繋がっていたいと思う気持ちもあって、誰かに寄り添って欲しいという気持ちだってある。
こんなことを表現している曲がRADWIMPSの「携帯電話」である。

ぜひ時間があればじっくりと歌詞を見て、聴いてみてほしい。


携帯電話/RADWIMPS

今日も携帯電話をポッケに入れて歩くけど
待てど暮らせどあの人からの連絡はなくて
まるで寂しさをポッケに入れて歩いているような
そんな こんな僕です

いっそ携帯なんて捨ててしまおうかと思うけど
電話帳にいくつもの名前が入っていて
まるで友達を携帯しながら生きているような
そんな 変な僕です

もうわけが分かんなくなっちゃって 一人ぼっちになりたくなって
電源を切って 僕に「おやすみ」

こんなものがなければ 今日も僕は一人だと
思い知らされることもなく 生きてけたんだろう

だけどこれがあるから 今日もどこかの誰かの
ポッケの中に僕の居場所が あるんだろう

ふいに携帯電話を暇つぶしがてら見ていると
あのケンカも あの約束も残っていて
まるで僕の歴史を携帯しながら生きているような
そんな こんな僕です

さらに電話帳の名前をぼんやりと眺めていると
どうにもこうにも思い出せない人がいて
まるで僕よりも僕のことを分かっているような
そんな変な箱です

もう何も分かんなくなっちゃって 僕を僕のものしたくなって
電源を切って 僕に「おかえり」

こんなものがなければ 今日も君がいないことを
思い知らされることもなく 生きていけたんだろう

こんなものがあるから 忘れていいようなことも
何ひとつ失くせずに いつまでもずっと残っている

だけど だから 今日もポッケに入れて 僕は歩いてく

見えもしない 聴こえもしない 君と繋がっている不思議
見えない糸が張り巡った その中で今日も僕は生きてる
その中で今日も僕は探してる

こんなものがなければ 今日も君はいないこと
君と確かにいたこと すぐ隣にいたこと

そんなことのすべてを 僕と君のすべてを
失くせそうにもないこと 忘れられそうにもないこと

だけどこれがあるから こんなものがあるから
今日もどこかにいる君の ほんの少しだとしても
その中のどっかに僕の居場所が あるんだろう

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