宮坂久美子さん(ミスDJ)…その2
「宮坂久美子さんがウチにやってきた!」
「誤認させるような見出しで読者を釣るインチキ野郎」とさげすまれることを覚悟で、そんなタイトルにしたいと思ったくらいだ。
ネットの古書店で注文した雑誌の切り抜き、「ミスDJのグラビア」が届いたのである。
自分だけの宝物としてしまっておくことも考えたが、やはり日本全国の久美子さんファンにいっしょに懐かしんでもらうことにした。
みなさんが言いたいことはわかる。
「元デザイナーなんだから、ノドの切り離した部分の修整とか、色調の補正とか、もうちょっとなんとかならないものか?」ということだろう。
そういう作業がどうしようもなく苦痛になり、全くできなくなってしまったから精神障害者なのである。
これについては、率直に申し訳なく思う。
さて、隅々まで読んではみたものの、これが何の雑誌であるかは書かれていなかった。
当てずっぽうで言ってみろといわれたら、『週刊プレイボーイ』と答えるかもしれない。
サイズはB5版(182 × 257 mm)。
紙はかなり薄く、80 g/m2くらいの印象だ。
古書店で注文するときには上図の1見開き分が商品であるとされていたのだが、届いた封筒には3枚のペラ、すなわち2見開き分が入っていた。
久美子さんの単独の写真もあるではないか。
しかもプロフィールまで。
「木曜日担当」
私の記憶では久美子さんの担当はずっと水曜日だった。
これは間違いではないのだろうか?
「S37・7・28日生まれ」
獅子座生まれの人は、射手座の私と相性がよい。
星占いなどまったく信じていないくせに、自然とそんなことを考えてしまう。
すっかり高校生に戻った気分だ。
「今年ミスDJに選ばれたばかり」
Wikipediaによると久美子さんが「第2回ミスDJコンテスト」で優勝したのが1982年6月20日であるから、この雑誌記事は1982年のものだと推定される。
私が16〜17歳、久美子さんが19〜20歳の頃ということになる。
「英語はスゴーイんだョ」
「スゴーイんだョ」に時代を感じる。
この頃は「宮坂久美子クン」のように、女性に片仮名のクン付けをしている雑誌もよくあった。
英語が得意なことについては、私は今までまったく意識していなかった。
YouTubeで当時の放送を聴きなおしてみたら、たしかにきれいな発音だった。
そして、あらためて久美子さんの写真をまじまじと見る。
ああ、きれいだ。素敵だ。
この年齢になっても、自分に年上の女性に憧れる気持ちというものがあることを思い知らされる。
若いときの写真なのに、私にとってはやはり年上のお姉さんとしか思えないから不思議だ。
甘えたい気持ちがあふれてきてしまう。
この雑誌の切り抜きが40年の時を超え、いま私の元に届いたことが奇跡のように思える。
こんな素敵な人がラジオで私の名前を呼んでくれた。
そして直筆の手紙まで送ってくれた。
そのことだけで「私の人生もじつはそんなに悪いものではなかったのではないか」と思えてくる。
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