「盗作」

ヨルシカの「盗作」が発売されて一月が経とうとしている。「エルマ」でエイミーとエルマの物語が一段落を迎えて全く新しいコンセプトアルバムになった「盗作」だが随所にエイミー達の曲の面影が散りばめられているのが今作を引き立たせつつ前作を過去のものにしていない。面影を散りばめると表現したがこれが盗作なのかと言われるとよく分からない。どこまでがオマージュなどと呼ばれるものでどこからが盗作と呼ばれてしまうものなのか。時代や社会、個人によってその解釈は様々なものになるだろう。そういった意味で「盗作」というアルバム名は非常に脆いものに感じた。

音楽泥棒を自負する男が主人公の今作だが泥棒が作ったとは思えない繊細なメロディからいかにも泥棒らしい力強いメロディまで備えた作品になっている。suisさんの歌声もこれまでとは違った声域で単純にかっこよく、舌打ちなどこれまでとは全く異なるヨルシカの表現方法を楽しませてくれている。この辺は実際に聴いてもらわないことにはなんとも言えないのだが注目しておきたいのはインスト曲と呼ばれるものである。

ヨルシカのアルバムには必ずインスト曲が収録されている。今作でも「音楽泥棒の自白」、「青年期、空き巣」、「朱夏期、音楽泥棒」、「幼年期、思い出の中」の4曲が収録されている。この中で特に好きなのが「朱夏期、音楽泥棒」である。メロディも心地いいが着目したいのは咳をする男の声が入っていることである。n-bunaさんが文学作品などを盗作もといオマージュを行うのは以前からのことであるがこれを聴いた時には嬉しかった。文学作品に精通していない私でも知っている尾崎放哉の「咳をしても一人」の句である。この句は一般的には病床に臥す放哉がその孤独さを詠んだものとして認識されがちだが、実際には孤独よりも怒りだとか不満を詠んだものという解釈もある。いずれにせよ今回の音楽泥棒が抱えるやるせなさなどに一致するものではないか。何も考えずに聞き流してしまいがちなインスト曲にこそヨルシカの真髄が眠っているような気がしてならない。

昨今の新型コロナウイルスの影響は私たちの生活にまで影響を及ぼしている。やるせなさを歌う「盗作」はこの時代にピッタリのアルバムになっているように思う。人生に迷う全ての人達に聴いてもらいたい。


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