bayfm9の音粋’22,12,12号音粋ヒストリアvol.4「長門芳郎インタビューEp.3,4」

’22,12,12音粋ヒストリアVol.4長門芳郎インタビュー
【⇐Eps.1,2から続く】スージ―鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)ゲスト:長門芳郎(長)
【Eps.3】
スー)音粋ヒストリアVol.4シュガーベイブやティンパンアレイのマネージャー、更にパイドパイパーハウスの店主で知られる長門芳郎さんへのインタビューでございます。10時台前半はいよいよシュガーベイブの話をします。このトークパートの中で10時台1曲目がかかります(10時台1曲目クイズ)。難しかったみたいですね。フフフッ。
ミ)当たった人いるんですか?
スー)正解者が2人いましたね。
ミ)フフッ先週4人って言ってたのが半分になりましたね。
スー)いよいよこのコーナーが消える日も近いかなと。さっきの(ヒントで歌った)は、クリスタルキングの『蜃気楼』って曲なんです。でもクリスタルキングかける理由無いですよね。じゃあシュガーベイブ辺りと蜃気楼を混ぜ合わせると、どんなものがフワフワフワと出て来るかという事です。曲名は後で言いますけれど、正解者2人の中からステッカーはやひこ・かくださん、常連の方にお送りしたいと思います。じゃあトークパート聞いて下さい。

☆インタビューへ
スー)もう一つ動いてるのを見た事ないバンドがありまして、シュガーベイブなんです。四谷ディスクチャートという所が非常に重要な場所だったようですね。
長)ああそうですね。大学ドロップアウトして地元に戻ってイロイロ仕事して、で、はっぴいえんど(のライブ)を夏にやって、その時に矢野誠さんが来てくれた訳ですよ。布谷(文夫)さんのバックで。で、はっぴいえんどのコンサートから数ヶ月後、矢野誠さんから電話がかかって来て「長門君、来週…」あん時どうだったかな?明日って言われたかな?ハッハッとにかくね「東京来い」と。「東京出て来て、僕のマネージャーをやってくれよ」と。それでえーっと思ってね。でもね最短で、アパート引き払って東京来ましたね。多分言われてから数週間以内(だと思う)。で東京来たんですけど、仕事は無い訳ですよね。なのでちょうど四谷のディスクチャートっていうロック喫茶がオープンしたばかりだったんです。ジャズ喫茶イーグルの店主後藤雅洋さんっていう方が、ヒノハラさんっていう放送作家の方とか友人がいっぱいいるんですが「ロック喫茶やれよ」って言われて、ディスクチャートを地下に作るんです。それの最初のスタッフが僕の中学以来の親友で小宮(やすゆう)君ていうバンド仲間だったんです。長崎グループっていうかね。それで僕もそこで働く事になった。開店直後から。矢野さんがマネージャーやれよって来た訳ですけど、素人ですから、こういう音楽業界初めてなんで。矢野さんがこの事務所行ってちょっと勉強しなさいと。マネージメントとかね。連れて行かれた所が、ある音楽事務所だったんですが、こんな事言っていいのか僕があんまり興味のない全く興味の無い音楽、アーティストだったんですね。で次の日僕は結局すっぽかして行かなかったんですね。ま社会人としてどうかと思いますけどハハハ。
スー)いやまあでも、その後に凄いメンバーと会うから、人生いいんですね。
長)うーん、で、矢野さんは結局はっぴいえんどと同じ「風都市」に入ってるんですよ。で僕はね「風都市」に入りたいよと思ったんです。興味の無いアーティストの事務所じゃなくてね。で、ディスクチャートで働き始めるんですが、しばらくして矢野誠さんが大貫妙子さんを連れて来たんですよ。で矢野さんが「この店いい音楽かけてるから、ここでいいレコード聞かせて貰いなさい」みたいな。
スー)ハハハッいい話だな。
長)ディスクチャートは元々ブリティッシュビートとかビートルズとかあったんですが、小宮君と僕がちょっと軌道修正して、スプーンフルとかフフッ僕らが好きなモノ。
スー)ちょっとアメリカ寄りで。
長)そうアメリカ寄りでしょうね。フォークロックとかモータウン・ロック、ローラ・ニーロとかジョニ・ミッチェルとかアル・クーパーとかね、あとアルゾとか結構マニアックなモノも入れて、そっちの方ばっかりかけるようになったんです。それで矢野さんがター坊(大貫妙子)を連れて来た。
スー)当時の大貫妙子はどんな感じでした?服装とか物言いとか。
長)服装は覚えてないけど、やっぱりちょっとスレンダーで雰囲気のある、絵も勉強してるって言ったかな。とにかくまあ、ジョニ・ミッチェルじゃん、みたいなね。それでちょくちょく来てくれるようになって、その内、四谷に変なロック喫茶が出来たぞ、っていう噂に、一部でね、噂になり。だってラヴィン・スプーンフル特集とかヤング・ブラッヅ特集とか。
スー)フフ、ヤング・ブラッヅ。
長)やってましたからね。その中に山下(達郎)君と一緒に学生時代にバンドをやってた武川伸一君かな、「ADO SOME MUSIC TO YOUR DAY」自主制作盤あのメンバーです。武川君達が来て山下君に「こういう店があるぞ」という事で、それで(山下達郎が)来たんですよ。
スー)来たー!ついに来たー!
ミ)お店が一つのメディアなんですね。
スー)覚えてらっしゃる範囲でいいんで、一番初めの第一印象、山下少年はどんな?
長)あの時は、多分二十歳ですよね。19歳の時に仲間と(「ADO SOME MUSIC TO YOUR DAY」自主制作盤を)作ったと思うんですけど。冬でしたからダッフルコートで。割とすぐ話すようになったのかなあ。それで自主制作盤を何枚か持って来てくれて、1枚僕は貰ったんですね。で、パイドパイパーハウスの壁に飾って、1500円で売りましたね。何枚か預かってね。
スー)ほうほうほう。それで山下君とカウンター越しに話すようになって、僕が持ってるソッピーズキャメル、ミニ・ラヴィン・スプーンフルと売り出されたバンドそのアルバムがあって、当時イノセンスっていうバンドもスタジオグループなんですけどね、そのレコードがあって、僕はそのイノセンスをまだ持って無かった。で山下君はソッピーズキャメルをまだ持って無かった。で、お互いに貸し借りをするようになったんですね。それ以降音楽の話をするようになって、共通の趣味っていうか、多かったね。アソシエーションとかも好きだったし、山下君はR&Bも大好きだったし、それで、何回か彼の実家のパン屋さんに遊びに行って、彼の部屋で一緒にこうレコード聞いたり、いろんな音楽家の話したり。天井にベンチャーズの来日コンサートのポスターとかローラ・ニーロの日本公演のポスターとか貼ってあったの覚えてますけど。そういう中で「オリジナル、なんか聞かせてよ」っていう話になって、カセットで聞かせてもらったんですよね。
スー)山下少年が作ってた音楽。
長)そうそうです。それ聞いてぶっ飛んだんですね。ボーカル、声。ま「ADO SOME」でビーチボーイズのアレ聞いてましたけど。
スー)フフッ1人だけ抜群なんですよね。あれ。
長)フフッ。で、彼のオリジナルの曲のバラードを聞かせてもらって、もうぶっ飛んだんです。こりゃ凄いや、こういうシンガーが僕好みのシンガーがいる。っていうのが分かって。その後彼もディスクチャート通って来る。大貫さんのデモテープをね、僕らの仲間で作ろうというね。あるレーベルでもうデビューする為にいろいろ準備がされてたんです。でもどうも本人も矢野誠さんも、これじゃないなみたいなのがあったんでしょうね。それで、じゃあ僕らで手伝ってなんかやろうよ、みたいな感じで、お店が終わった後に夜中、朝方まで楽器持ち込んでレープレコーダー持ち込んで、彼女のやりたい音楽オリジナルだったり、小宮とか僕が書いた曲だったり、それを録音するようになって。深夜のディスクチャートセッションみたいなね。
スー)伝説と化している話ですね。
長)うん。ディスクチャートが結局半年くらいで潰れちゃった。
ミ)半年⁉
スー)この本でも、アッという間だなと。
長)道路拡張で、元々あったイーグルが閉めないといけなくなって、じゃあ赤字経営のディスクチャートと入れ替えようという話になるんです。
スー)じゃ、場所は現存してるイーグルの所ですか。
長)そう、全く同じで、レコードDJルームもレイアウトも、本棚とか椅子、あれ全部当時の物です。カバーは張り替えてるかもしれないけど、後藤さんと僕で夜中作った本棚とかそのままあります。
スー)そのセッションで山下達郎も参加した?
長)参加っていうかね、最初はこういう事やってるのを聞きつけて、遊びに来いよ、みたいな。で、夜中に車で、山下君だけじゃなくて村松(邦男)君とかも来てね、見学ですよね最初は。見学してて、休憩時間とかに山下君がギターを持ってポロポロッと弾いたりする訳ですよ。でそれ聞いた、僕はまあ彼の才能わかってるから。
スー)テープ聞いてますからね。
長)そうそう。えっ⁉っていう感じで、他のメンバーもね。
スー)えっ⁉スゲーなこいつ。って。ハハ。
長)あん時はプロは誰もいない訳ですよ僕の仲間で。後にプロになる徳武弘文さんとか  野口(明彦)君、シュガーベイブの最初のドラマーとか、僕ら仲間内でやってたんで。おそらくその頃に、ター坊と山下君、初めて顔合わせするんですけど。
スー)出逢ってしまった!
長)山下君が、女性がいる混声のバンドをやりたいってのがあったんでしょうね。で、ター坊に一緒にやらないかっていう感じで。
スー)イイ話だなあ。
長)僕は突然大貫さんから「山下君と一緒にバンドやる事になったあ」みたいな報告があって。えーいつの間にーって。
ミ)いいですね。
スー)アハハハハハッ!
長)でもそれはいいなあ、と思って、僕も応援したかったし。その内何回かサーフィンラビットのベースだった並木進さんの方の家で「ADO SOME」をレコーディングしてる訳なんですよ。そこでシュガー・ベイブ、名前はまだ出来てませんでしたけど、山下君ター坊や村松君達でリハーサル、練習を連日やってたみたいですね。で僕も一回見に行こうって事になって、まだバンド名が決まってないから「長門君も考えといて~」みたいな。
スー・ミ)ハハハッ。
長)で僕は練習してる場所に向かう訳ですよ、電車でね。電車ん中で思いつくんですよ。
スー)シュガー・ベイブというのを。
長)シュガー・ベイブ。と言うのはその頃見たミケランジェロ・アントニオーニ「砂丘」ていう映画があるんです。あれ確かピンク・フロイドとかいろんな音楽かかるんですけど、砂漠を車で疾走するシーンがあって、それでカーラジオかなんかとにかくヤング・ブラッヅの『シュガー・ベイブ』がかかるんですよ。これだ!って。駅に着いて公衆電話で電話かけたんです、並木さんの家に。ター坊が出たんで「いい名前思いついたよ」って言ったら「あら、もう決まっちゃったわよ」みたいな。「えーっ!せっかく」と思ったら、シュガー・ベイブだった。
スー)アハハハハハッ!  ミ)はあー。
長)山下君の提案で。
スー)偶然だ。
長)候補として、ヤングラスカルズの曲で「イージーローリング」とか「並木橋5丁目バンド」とか、それは5thアベニューバンドから来てるんだけどね。僕が大好きだった。そういう候補があったらしいけど、結局シュガー・ベイブ。
スー)いや、シュガー・ベイブで良かったと思います。
長)ハッハッハッ。これはもう奇跡だと思いましたね。
スー)この「パイドパイパーデイズ」本の中で最も些末ありながら最も私が聞きたかった事なんですけど。長門さんの結婚式で山下達郎が落語をやったっていう。ホントですかこれは。
長)ハッハッハッ。あ、そうですね。’76,1,8長崎でやるという事で。僕が幼稚園の頃住んでた銀屋町教会って、眼鏡橋から数十メートルの所、そこの裏に住んでたんですよ。で毎日その教会を覗いていた子供時代だった。そこで結婚式する事になって、お世話になった細野さんご夫妻と山下君大貫さんが来てくれる事になって、余興のコーナーがあって。
スー)豪華な余興ですなあ。ハッハッハッ。
長)大貫さんはね「私司会やるから」って。
スー・ミ)豪華な司会だなあ。
長)細野さんは『ろっかまいべいびい』ギター弾き語りでやってくれて、山下君は「ミュージシャンが歌っても余興になんないから、じゃあ落語やるわ」。
スー)アハハハハハッ!
長)で「湯屋番」をやってくれたんです。
ミ)23歳の山下達郎さん。何で出来んの!
スー)上手かったですか?落語?
長)あの人は落語大好きですからね、以前から練習してたんでしょうね。それでほら江戸っ子でべらんめえ調で。結構拍手来てましたよ。参列者は年配の人がいっぱいいるから。細野さんも最近、その事を書いてましたね。結婚式で山下君の落語を聞いたって。
スー)あーそうですか。重要な事実になってる。ハハハッ。この件が今日一番聞きたかったんですよ。真実なのか落語が上手かったのかどうかっていうのがね。
長)上手かったですねえ。

☆スタジオに戻る
スー)ほら釣りあげましたよ、重要な事実を。山下達郎落語上手かった。歴史が今塗り替わったなあ。という訳でさっきの10時台1曲目クイズの曲はシュガーベイブ『蜃気楼の街』。正解者はたった2人。それも、ステッカーはやひこ・かくださんですけれど、もう1人はばらーどキリンさんなんで(2人とも超常連リスナー)、この2人しか答えられないクイズっていうのはちょっと問題かなと。ハハハッ。
ミ)ハハハハハッ。
スー)せめてもうちょっと難度を緩くした方がいいかなと思いました。そんなこんなはともかく、どうでしたかミラッキさん。結婚式のエピソード。
ミ)んーハッハッハッ。バンドの名前が決まるくだりも含めてドラマにできるなと。今頭ん中でキャスティングが始まっています。
スー)あ、朝ドラね。「たっちゃん」てヤツね。平仮名で。…来ますよ、ここにいよいよユーミンが来ます。とんでもないコトになってますが、日本のロックの歴史がドンドン動いて参りますね。じゃあこのパートもう一回トークパートでございます。いよいよユーミンさんのご登場でございます。
☆インタビューへ
スー)キャラメルママ、ティンパンアレイのマネージャーみたいな感じだったんですね。
長)そうですね、最初僕はシュガーベイブのマネージャーをやりつつ、ただシュガーベイブも仕事は無い訳ですよ。デビュー前だったり学祭だったりいろんな伝手を頼って僕は売り込んで、出させてもらったりとかね。いわゆるお呼びがかかってギャラがある出演ってのが無かったんです。ほとんどね。あっても新宿のラ・セーヌかな、あそこで5000円とかね。でも楽器借りて車に積んでやってだからマイナスな訳ですよ。それも取っ払いじゃなくてね、来月取りに来てくれみたいな。
スー)時差が!
長)そうそう、そういう感じで収入が無い。だから山下君も大貫さんも他のメンバーも、東京が実家だとは言え、いろんなアルバイトをしてたみたいですね。(僕は)シュガーの合間を見てというか当時キャラメルママがスタジオ仕事をやってたんですね。そのローディーっていうか楽器運搬が主なアルバイトみたいな感じでね。僕の中古のハイエースをね、林立夫さんから譲ってもらった、それにドラムセットですね林立夫のドラムセットとか、細野さんのベーアン(ベースアンプ)といったものを積んで、彼らのスタジオ、仕事先。で彼らは1日1個だけじゃないんです。
スー)もう売れっ子でしたからね。
長)そうそうそう。1か所2か所3か所。最初ユーミンでその後は別のっていう感じでやってて、僕は結構それを続けたんです。キャラメルからティンパンアレイっていう名前に変わるんです、’74かな。それでクラウンレコードと契約するんですけど、その頃に僕にマネージャーをやってくれという話があって。専属のね。それまでアルバイトだったんで。ちょうどそれが’76の頭。シュガーも解散するようなタイミングだったりして。新宿の喫茶店かなんかで山下君と2人で会って、僕がシュガーの仕事を一旦辞めてティンパンの専属になるって言う話をしたり、というのはシュガーベイブの事務所を作った時にもう一組、山下洋輔トリオと二組の事務所を作ったんです。テイクワンという。笹塚の方に。
スー)凄い組み合わせですね。
長)山下洋輔のマネージャー柏原タク、彼はナベサダさん(※渡辺貞夫ジャズミュージシャン)のボーヤとかやってた人なんですけど、彼と2人で作って僕がティンパンで忙しくなって、そのフォローを柏原がやる機会が増えて来て、シュガーベイブには柏原もいるしPAもできるし、という事で僕は一旦引く訳ですね。それが最後ですよね。
スー)ティンパンアレイと一緒に行動を共にして、一番の思い出とか印象深かった事は何でしょう。
長)そーだなあぁ。いろんなレコーディング現場、セッティングの時点からいて本番のレコーディングを見たりとかの中で、一番最初何だったかな。雪村いづみさんかな。
スー)「スーパージェネレーション」名盤ですよねえ。
長)あれのレコーディングとか。一番多かったのはユーミンですよね。ユーミンの「ミスリム」から3枚くらい。
スー)「パイドパイパーデイズ」にミスリムのレコーディングの話が書いてあって、マイク1本で山下達郎、吉田美奈子。
長)そうそうそう、普通のレコーディング、コーラスの場合、1本のマイクを囲んで歌うの多いと思うんですけど。あの時はマイクが1本あって、大貫さん吉田美奈子さん矢野顕子さん山下君、4人のコーラスをやる時に、声量の順。
スー)ハッハッハッハッ。
長)一番前に大貫さん、多分矢野さんアッコちゃん、それからマイクが一番遠い所に山下君か美奈子ちゃん。
スー)ハハハッ。甲乙つけ難いですからね。
長)どっちかですよね、一列に並んで。
スー)囲むんじゃなくて。声の大きさが違い過ぎるから。
長)そうそうそう。
スー)日本一豪勢な行列ですね。  ミ)ハッハッハッ。
長)結局シュガーベイブとか山下君がコーラスアレンジを全部。山下君はその場でやるんで、時間はかかるんだけど、もう他は誰もできない、いわゆるスタジオコーラスの人達にはできないサウンド、コーラスになる訳ですよね。でそれをやっぱり気に入ったユーミンとか松任谷正隆がいつも呼んでくれた。
スー)「ルージュの伝言」とか聞いたら、もう途中から山下達郎の歌になりますからね。
長)ハハッ、そうですよね。で山下君抜きで今の女性3人でやった時にシンガー3とかいいましたけど、コーラスグループ作ろうかみたいな事、ミキサールームでユーミンに言ったら「私がマネージャーやるから」ってユーミンがね。
スー・ミ)ハハハハハッ。
スー)そのマネージャーはどうかなあ。

☆スタジオに戻る
スー)ミスリムかける時間が無かったので、後の方でその行列コーラスかけようと思います。ティンパンアレイからユーミンまで聞きまして、もういよいよ登場人物が出揃ったって感じですね。朝ドラ「たっちゃん」の。ハハハッ。
ミ)誰が主人公なんだって話ですけど。
スー)主役はター坊じゃないですか。大貫妙子。誰に演じてもらいましょう。ちょっと考えましょう。で、ここまでまだパイドパイパーハウスの話を全くしてないと言うね。
ミ)辿り着いていないんですよ。
スー)押しに押しまして申し訳ないんですけど。
ミ)ここからもう番組は最終盤なんですけどね。
スー)そうそう、という訳で「音粋ヒストリアvol.4長門芳郎」盛り上がりに盛り上がってるんですが、頭の中では山下達郎さんが落語をやってる風景がこびりついて。是非サンデーソングブックに皆さんリクエストして下さいね。落語の音源無いんですかと。
ミ)ハハハッ。
スー)最後のゾーンは伝説のレコードショップ、パイドパイパーハウスのお話でございます。

【Eps.4 パイドパイパーハウス】
スー)ここからはもう南青山の伝説のレコ屋レコードショップ、パイドパイパーハウスの店主になる経緯、そして長門さんの最近の活動や思いを伺いました。
ミ)はい。

☆インタビューへ
スー)やっと、パイドパイパーハウスの話になりますけど。
長)はい。
スー)レコード店のオーナーになる。
長)はい。パイドパイパーハウスが南青山にできたのが1975年11月25日オープンなんです。当初からスタッフ岩永正敏さんとか小林健さんとか今沢さんとかいたんですけど、彼らも学生時代の仲間ですよね。僕も当初シュガーベイブのマネージャーをまだやってる頃で、ちょっと手伝ってくれと。例えば品揃えですよね。それをやるようになって、どういうレコードを置いた方がいいよとかね。当時のパイドパイパーってそれこそいわゆるヒットものから国内盤、それからジャズ、現代音楽、民族音楽、そういったものがあり、コーヒーコーナーもあったんで。小さいカウンターがあってね。あと音楽に関する本ですよね、それから輸入楽譜、ソングブックとかね、それからミニコミこの辺も置いてたんですよ。小さい喫茶コーナーがあったんで、例えば細野さんとか吉田美奈子さんとか、打ち合わせっていうか待ち合わせをそこでやったりとか。当然、山下君大貫さんシュガーベイブの元のメンバー、それからもうムーンライダーズになってたかな?鈴木兄弟から岡田さんとか橿淵君とかみーんな、僕がいろいろ仕事をしていた周辺のミュージシャンが結構来てくれてたんですね。で最初はブレーン。
スー)レコード品揃えの。
長)そうですね。そうこうしている内に3~4年経った頃からかな。ちょうど僕が最後に音楽事務所作ったのが、細野さんと山下君と吉田美奈子さん、この3人の事務所を作ったんですよね。麻布の方に。ウィルパワーっていう事務所。僕と日笠雅子さんていうYMO初代マネージャー、今は手相見で有名ですけど。日笠さんとスタッフが2人、でビックミュージシャンが3人。これ、フフッどうしてもね、無理な訳ですよ。うーん。結局これも数か月で、これは無理だろうという事になって解散しちゃったんです。で僕は音楽業界を引退する事になりまして、明日から食えなくなっちゃうんですよね。フフッ。で、パイドパイパー初代社長の岩永さんに、これまではブレーンだったけど実際お店に立つから雇ってくれ、とお願いして、現場に出るようになったんです。これが多分’77か’78。後で本で確認しますけど。
ミ)YMOが‘78にデビューしてるので、そのちょっと前くらいという事ですかね。
長)そうですね。YMOがデビュー前ですよね。細野さんから今後こういう事やって行きたいから意見聞かせてくれ、という事で日笠さんとか僕とか周りの何人かに、アンケートみたいな形で。
スー・ミ)へええーー。
スー)細野晴臣が作成したアンケート。
長)そうそうそう。確かディスコミュージックみたいな新たなサウンドもやりたいんだって。バンド名の候補も確かあったと思う。
ミ)ええええーー!
スー)アハハハハハッ。
長)どれがいい?みたいなね。
スー)イエローマジックオーケストラっていうのは、その中にありました?
長)あったと思う。元々ティンパンアレイの頃に『イエローマジックカーニバル』って曲をやってましたから。
スー)他の選択肢って覚えてらっしゃいます?
長)全く覚えてない。全く覚えてない。
スー)それで音聞いて、率直にどう思いました?
長)いや、音聞く前でしたね。
スー)前ですか。
長)こういう構想がある、みたいな。
スー)ああ企画書だ。
長)そうそうそうそう。まだ村井(邦彦:YMOプロデューサー)さんとお話する前ですよね。で、村井さんのトコとアルファ(レコード)と専属プロデューサー契約する、そういう打ち合わせの時までは、僕いたんです。で、パイドパイパーハウス現場に立つようになって、品揃えをもう一回見直して。例えば古いオールディーズ関係をちょっと充実させたり、ヴァン・ダイク・パークスとかドクター・ジョンとかローラ・ニーロとか、そういったものをもっともっと。絶対切らさない。
スー)レコード屋としての個性を作って行ったんですね。
長)いつ行ってもあそこに行けば、ドクター・ジョンがあるよと、ヴァン・ダイク・パークスがあるよと。いう感じの店にしたかったんです。
スー)そこにふらっと田中康夫青年が現れる。
長)そうそう。田中さんはねしょっちゅう来てたんですね、’70代後半、来てて。いつもじゃないと思うんだけど、詰襟の学生服。
スー)学生服⁉
長)一橋でしたよね。いつもじゃないですけど、そういう印象が強い。
スー)凄いなあ、大学生で詰襟着てんだ。田中康夫青年。あんだけファッションの事書いてんのに。
ミ)ハハハハッ。
長)確かDJみたいなのもやってたんですよね。選曲かなんか。どっかの。だからいつも買うレコードが「ほうっ」って感じでね。AOR系だったり、ソウル系だったり。で、パイドパイパーハウスの対面に本屋さんがあったんですよ。
スー)ほうほうほう。
長)僕毎日そこ行って見たりしてた。そこで「文藝」。
スー)雑誌ですよね、文芸誌。
長)そうそう。それで新人賞っていうのをパラパラってめくったら、写ってるんですよ田中さんが。
スー)詰襟のあの男が!
長)えええっ!新人賞!って思って、えーっ作家さんだったんだーと思って。次来た時に「受賞おめでとうございます」「あらーばれちゃった」みたいな。それ以来、更に親しくなった。
スー)「なんとなくクリスタル」文庫本47ページにパイドパイパーハウスと書かれてまして、彼の説明がね《南青山5丁目にあるレコード店。どのお客に対しても親切にレコードの説明をしてくれる点が、他の輸入盤店にはない良さです》と。これ、長門さんですよね。
長)まあそうですね。大体カウンター越しだけじゃなくって、いわゆるスタッフルーム、ルームでもないんですけど、売り場じゃない所にちょっと座ってね、このレコードはって質問されたり答えたり。
スー)いい店だなあ、今そういう店無いもんなあ。
長)そういう事があって、「ブリリアントな午後」その後もいろいろな本を出していますけどね田中さん。1980年でしたかね。
スー)’80,’81に田中康夫ブームですね。’80代初頭です。
長)そうそう。映画がね、パイドによく来てたNASA亀井登志夫さんていうミュージシャンがいて、なぜか彼が主演だったんですね。彼とかとうかずこさん。撮影させてくれ、っていう話があって、パイド店内実際に撮影。亀井登志夫さんかとうかずこさんと僕がカウンター越しに会話してるシーンが、映画ん中にあるんですよ。僕、1回だけ見た。その後いろんな音源の権利関係があるんでしょうね、映像化されてないんですよね。サントラ盤は出て、田中さんと僕で解説書いたりとかしましたけどね。
スー・ミ)見たいなあ。
長)その後しばらく会わない時期があったんですけど、国会議事堂の前でバッタリ。
ミ)凄い所で。
長)いつも彼も来てたし、僕も毎週行ってたんで。そこで会って、彼も覚えてくれてて「久しぶりですねえ」って話になったんですよね。これは本に書いたかどうかわかんないんだけど、田中さんがねなんかのSNSで「これはケニー・ランキン」って書いてたんですよ。いや、あれはケニー・ノーランでしたよね、って僕が訂正しちゃって。
スー)ハハハハハッ!
長)何十年ぶりに国会前で再会した時の第一声が。
スー)国会議事堂前の反原発の抗議行動の所で、ケニー・ランキンとケニー・ノーランの話ですね。
長)そしたら、「あ!そうそうそうそうだった。勘違いしてた」田中さんの答えがね。
スー)じゃ、最近のご活動とか。
長)タワーレコードの宮脇社長に、僕がちょっとお話をしてパイドパイパーをショップinショップみたいな形でもいいからとね。
スー)タワーレコード渋谷店のコーナーですよね。ショップinショップ。
長)そうそう。ホントにこれはありがたい。お客様、タワーレコードの皆さんのサポートのおかげだなあ、と思ってて。この歳でレコード屋をやってるのは、多分日本レコード店の最年長、最長老かなあと思ってます。でもホントに楽しいですよね。まあコロナ禍もありますし、前にみたいに毎日いるという感じではなくてね。
スー)でも週に何回かはいらっしゃる?
長)週に1回とか2回とか、イベントも時々やってますんで、その時は必ずいると。
スー)タワーレコード渋谷店の6階に。
長)6階の隅っこに。
スー)隅っこにショップinショップとしてパイドパイパーハウスがあるっていう事ですね。
長)そうですね。コンセプトはホントに青山時代から変わってなくって、いわゆるヒット物は他のフロアーにいっぱい並んでる訳で、パイドらしい、ちょっとマニアックなモノとか、昔から推してるローラ・ニーロ、ヴァン・ダイク・パークス、ドクター・ジョンとかそういう物を切らさずに置くと。後は資料がウチにあるんですよ。はっぴいえんどからシュガーからティンパンから。あの時代のポスターだとかチラシだとか。そういった物がみんなに見てもらった方がね。
スー)この本の冒頭にかなりあるんです。ポスター類。
長)そういった物を額装できるものは額装して、ショーケースに並べて見せたりしてます。オリジナルを見るっていうのは、インパクトが違うんです。モノの本にいろいろ出てますけど、本物を目の前で。今も飾ってますけど、シュガーベイブの1973年12月17日だったかな?タワーホールのポスター。あの時シルクスクリーンで何十枚か作ったんです。
スー)へえー。
長)デカいヤツね。それの裁断前のデカいヤツが1枚残ってて、ちょっと破れてますけど。それを額装して飾ってるんですよ。
スー)ああ重要だなあ。
長)それだけじゃなくて、シュガーのシングル盤とか最初のチラシとかね。細野さんのポスターとか飾ってるし、今ちょうど大瀧さんの「乗合馬車」(※50th Anniversary Edition‘22,11,25発売)で大瀧さんのも展示してます。
スー)これもうウチのリスナーの大好物な人が多いと思うんでタワーレコードに是非行って頂きたいと思います。
長)レコード屋なんだけど、ちょっとした小さな音楽ミュージアムみたいなものを、ホントやりたいんですよ。
スー)あのレコードの袋、まだ使ってるんですか?パイドパイパーの伝説の袋。
長)あーそうですね。今、ピンク時代の袋ですね。その前の紙袋とは違いますけど。
スー)是非ちょっとそれも。かなりのイイ感じなんで。
長)だからパイドで買ってくれるとCDとかシングル、LP買うとそのピンクの袋に。
ミ)この楽しさってのはサブスクには無いものですね。
スー)無いですねえ。
長)サブスクもいいしYouTubeでただで見るのもいいんだけど、レコード屋さんに足を運ぶとね、特別な感じですよね。
スー)出会いがありますからね、新しい音楽と。
長)そうそうそう。たまたまかかってたレコードとかバッタリ会った友人とか。こういう時代ですけど、できればレコード屋さんに足を運んで欲しいなあと、思ってますね。
スー)ありがとうございます。お時間大幅に超過して失礼しました。最後に1点だけ。この番組はホントに音楽が好きで、レコードが好きで、ちょっとどうかしてるリスナーが多い番組なんですけど、是非音楽ファンの大先輩としてメッセージといいましょうか、何かひとこといただけますか。
長)僕はラジオを聞いて育った世代、今もそうですけど。ラジオでの音楽との出会いとかね、それを大切に今後もね、していただきたいなあという。それでまあ、気に入った曲1曲でもあればね、そこから遡って自分で調べてどんどん深みに、沼に入り込んで行くと思うんですけど、楽しいですね。それが僕小学校中学校の時にそういう経験してるので、いまだにその沼から抜けきれないって言うかね。自分で気に入った番組があればね、それをずっと聞いて、そこで知ったレコードをレコード屋さんに探しに行くとか。パイドパイパーは古いレコードいっぱいあるし、最新の音楽もあるし。海外のレコード屋行くと懐かしの音楽のコーナーとかありますよね。そういうトコって年配の人しかいないんですよ。でも日本のレコード屋さんて全く違いますよね。
スー)若者だけいたり。
長)若者が古いレコードを掘ってるていうか、それはね素晴らしい事だと思います。そんな感じですかねえ。
スー)ありがとうございます。様々な細かい話から念願の山下達郎落語バナシまで聞けました。
長)アハハハッ。
スー)音源残ってないですかね。
長)おそらく僕1回見た。当時8ミリかなんかで。
スー)映像が残ってる⁉
ミ)結婚式だから!
長)結婚式だからウチの兄が撮ってくれてたと思うんです。
スー)これ、bayfmで初オンエアどうですか?ハハハッ。
長)ハハハハッ。
ミ)ハハハハッ!勝手に。
長)いやあ、それ以来僕聞いても見てもいないから。
スー)馳せ参じますよ、ご自宅に。ハッハッハッ。
長)いやあ、無いんじゃないかなあ。
スー)まず映写機がない。
長)それ以外の物は大体ありますねえ。
スー)是非bayfmで秘蔵音源を公開する番組を。
長)整理できないだけで、捨てられないモノがいっぱいあって。
スー)いつでもお伺いします。ハイエース乗って行きます。ハハハッ今日はホントにありがとうございます。9の音粋月曜日「音粋ヒストリアvol.4」長門芳郎さんにたっぷりと伺いました。
スー・ミ)ありがとうございました。
長)こちらこそ、ありがとうございました。

♪荒井由実『あなただけのもの』※with行列コーラス^^;
===終了===
 
★み:長崎でFENから洋楽を浴び、後に「日本では、はっぴいえんどしかないな」とライブツアーを呼ぶ。リハの最初の音で震えた。山下達郎の家でオリジナル音源を聞きぶっ飛んだ。シュガーベイブが結成されるのを目の前で見る、ティンパンアレイのマネージメントでユーミンアルバムに携わる。Jポップと共に来たレジェンドならではの生の証言に感動する。《ラジオでの音楽との出会いを大切にして欲しい。気に入った番組で知った曲を調べて、レコード屋に探しに行って下さい》月9リスナーへの最大の応援コメントでした。
 
△来週:12/19第1回「音粋紅白」スジ組ミラ組で今年2022年の歌合戦。勝敗はリスナーのメールとtweetで決定。勝った組は自分の選んだ大トリの曲をオンエアできる。
△来々週12/26リクエスト特集~特別編~
2022年月曜9の音粋でかかった曲でもう一度聞きたい曲リクエスト
 
△番組特製ステッカーゲット:シェア大賞:みっちゃん なぞかけ大賞:孤独な散歩者さん

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