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Jan.|私の中の尼とキャバ嬢

今日は極寒でしたね。風が冷たくて鼻がちぎれそうでした。
なのに・・目がかゆい。花粉、もう始まってる?(やめて~)
さて、昨日も記事にした確定申告、本日書類を税理士の先生に送付完了!やったー!ばんざい!年末年始のように爽快な気分でうきうきしております。
今年は絶対毎月月次締め、やるのだ▼▼

■今日の思考ぐるぐる

日常の多忙さから、ふっと解放されると、思考がぐるぐるしてきます。
半世紀生きてた51歳。もっと頭の中はすっきりと、達観しているのが50代かと思っていました。想像していたのと全然違う~!

若い頃と同じく、頭の中には二律背反するものが共存していることを、いつまで経っても、相変わらず突きつけられる日々です。
きわめて両極のように見える2つの存在も、一周まわれば、隣同士に共存しているのです、陰陽のように。そのことを少し俯瞰してみられるようになったかなぁ。いや、気のせいか?

例えば、
勤勉な自分と怠惰な自分
潔癖な自分と不潔な自分
柔軟な自分と頑固な自分

きっと多くの人がその両極に見えるお隣同士の何かをもっているよね。

◼️尼とキャバ嬢

私の心の中では、常日頃、
A.キャバ嬢のように華やかで傲慢でにぎやかな自分
B.尼のように質素で控えめで静かな自分

AとBが出たり入ったりしている。

例えばお金を稼ぐことについて:
稼いで稼いで、華やかに、遊び旅して消費して暮らしたい私と。
生存最低月収で、静かに、家の中で家事を楽しみ、つつましやかに暮らしたい私と。

例えばyoutubeを選ぶとき:
ノリノリの音楽、下世話で笑える豪華な映像を見たい私と。
優しい音楽、癒される穏やかな暮らしの映像を見たい私と。

例えばこの仕事を受けるかどうか考えるとき:
きついかも、稼げるな、よしいっちょやったるか!
もう無理はせず、この報酬はいらない、よしお断りしよう!

どちらも私であり、どちらにも偽りはない。
一方で朝はキャバ嬢で、夜は尼だったりする日もあり、そんな自分の心持ちに疲れるのです。近年は、かなり尼の出没頻度が高まっている気もする。(老成?)そして少し疲れているときは尼寄りの私になる。
そして、ずっとどこかで、尼に憧れている私がいる。

ここ数年のコロナ禍は、キャバ嬢がほぼ出没せず、尼なわたし。
どこかやりつくしてきた感、もう静かに引退したい気持ち・・?
そして今年は、年始は、静かに内省しながらつつましやかでいたいとおもっていたけれど、
確定申告が終わった今夜は、キャバ嬢登場しております。
なるほど、思うように行動できている時ほどキャバ嬢になるのかもしれない。
何かが何かを呼び水にして、くるくると回り続ける。
あ、まさに今、からから回るモルモットのおもちゃを思い出しました。

◼️全てわたしなのだ

そう、どちらも私なのだ。いつも共存している。
見た目はキャバ嬢の体で、心は尼な日もある。全て大切にしたらよい。どちらも大切な素の自分だから。必要な時に尼もキャバ嬢も。
「この体はカリモノ。魂を磨く旅の途中。」
魂、真我は尼なのか、はたまたキャバ嬢なのか、それを探す旅でもあるのです。

◼️言語化すると楽になる

尼なのか、キャバ嬢なのか。答えはなくともひとつ言語化できた。
歳を重ねて、自分の心のほんの一部分だけでも言語化できると、生きるのが楽にそして楽しくなっていく感覚。
私というこの魂の中で、尼とキャバ嬢以外にも、さまざまな存在が共存し支え合っている。(例えばミュージシャン、時に作家、時に料理家、時に先生、時に母、時におじさん、時に幼女・・・)ぐるっと回って中庸。からからからという音と共に。

私は50歳になるここまでに色々な私と出会い、色々な私と付き合ってきました。そう、誰よりも私の魂を知っているはず。思い出せなかったり、忘れてしまっていることも多々あるけれども。

尼もキャバ嬢も適切なタイミングで出したい時に露出させればよい。どちらも愛すべき私。さて、明日の私はどっちの要素が強いかな?

尼とキャバ嬢的思考のことは、整理してまた書きます。
さぁ、ひとまず明日も心地よい日常を♡

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