喜びと真心をもって食事をともにし

聖書は、食事をともにすることが、神の家族の交わりと宣教において、大切な要素であることを教えています。いっしょに食事をするという行為は、お互いを受け入れることを象徴してます。どのような時代、どのような文化であっても食事をともにすることは親密な関係を築く上での不可欠な要素です。福音書の中でも、イエスが弟子たち、罪人たちと食事をともにした場面がたくさん描かれていますが、これは主イエスが、「食事をともにすること」の大切さをご存じだったからです。使徒の働きは、初代教会の弟子たちの交わりや宣教活動を記録してますが、その中でもたびたび食事が大切な役割を果たしていることが分かります。今日は、「食事をともにすること」をテーマに、教会の交わりと、宣教について、皆さんといっしょに考えたいと思います。
 
1. 主イエスは「食事をともにする」ことを大切にされた(使徒10:40-41
 
イエスの復活後、イエスは弟子たちに現れ、彼らと食事をされました。使徒の働き10:40-41は、イエスがすべての人ではなく、共に飲み食いする人々を選ばれ、ご自分を表されたことを強調しています。ガリラヤ湖の湖畔で、捕ったばかりの魚を焼いて復活された主イエスと食事をともにした場面は、弟子たちの記憶に深く焼き付いていました。この朝食は、イエスとの親密な交わりと復活の現実を強調しています。
 

◆使徒の働き10章40~41節
10:40 しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
10:41 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。
 

◆ヨハネの福音書21章10~14節
21:10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」
21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。
21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。
21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。
 

2. 食事は初代教会の交わりの大切な要素だった(使徒2:42-47)
 
使徒の働き2:42-47には、初代教会の生活が生き生きと描かれています。弟子たちは使徒たちの教え、交わり、パンを裂くこと、そして祈りに専念していました。パンを裂くというのは、主の晩餐だけでなく、信者の間で分かち合う普段の食事も意味しています。これらの食事は、素朴な心で喜びを分かち合う時であり、彼らの一致と所属感を強めるものでした。
 
食事は特別なプログラムではなく、私たちの日常生活に不可欠な要素です。復活されたイエスが、聖霊を通して、弟子たちの食事の輪に連なっておられ、彼らの会話と笑い、そして祈りの中にご自身を現わしておられたのです。周囲の人々は、この喜びに満ちた弟子たちの姿に惹きつけられたのだと思います。
 

◆使徒の働き2章42~47節
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

3. 宣教の働きにおいても食事は重要な役割を果たした(使徒11:1-3)
 
使徒の働き10章で、ペテロは教会の宣教の方向性を変える幻を見ます。空腹で食事を待っていた時、彼は、あらゆる種類の動物で満たされた大きな敷布の幻を見ました。この幻は、福音がユダヤ人だけでなく異邦人のためのものであることを理解する上で極めて重要なものでした。神はユダヤ人にとって汚れた動物を屠って食べるように命じたのですが、この食べると言う行為は全面的に受け入れることを暗示しています。神はペテロの肉体的な空腹を霊的な真理を明らかにするために用いられたのです。
 
使徒の働きを読むと、初代教会が初期の段階において、ユダヤ教の慣習や伝統に縛られていたことが分かります。この文化的な縛りが異邦人宣教の働きを阻んでいました。この障害を打ち破るために、神が直接この状況に介入されます。神は啓示によってまずローマの軍人コルネリオにペテロ(シモン)を招くように語り掛け、次にペテロに異邦人を受け入れるように語り掛けます。ペテロがコルネリオの招きを受けて、彼の家を訪問することをきっかけに異邦人宣教の扉が大きく開かれるようになったのです。この場面でも、ペテロに対するユダヤ人クリスチャンの言葉から、「食事をともにした」ことに焦点が当てられています。異邦人と食事をともにすることは、自分たちの文化を重んじるユダヤ人にとっては受け入れがたいことだったのですが、神はこの文化を乗り越えて神の国を広げようとされたのです。
 

◆使徒の働き使徒11章1~3節、17~18節
11:1 さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。
11:2 そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、
11:3 「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした」と言った。
 
11:17 こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
11:18 人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。
 

むすび
 
教会(神の家)の中心的な柱は、私たちと父、子、聖霊なる三位一体の神との交わりであり、次にそこに住む私たちのお互いの交わりです。神は私たちがご自身との親密な交わりの中に生きること望んでおられます。また使徒の働きに登場する弟子たちに見られたように、私たちが、神の家族として日々の生活の中で互いに愛し合い、仕え合い、祈り合う関係の中に生きることです。「食事をともにする」ことは神の家族としての関係を築いていくことにおいて、また神の国を広げていくおいて、なくてはならない大切な要素なのです。


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