聖霊の満たし、祈り、弟子作り(次世代につなぐ)

以前学んだチャーチサークル(メンバー用のホームページにも掲載している内容です)教会の12の要素のうち三つ、とくに聖霊の満たし、祈り、弟子作りにフォーカスを当てて、いっしょに分かち合いたいと思います。 

1.聖霊の満たし 

主イエスは聖霊をある場面では火を用いて説明し、他の場面では水を用いて説明しています。火がきよめの象徴であるのに対して、水はいのちの象徴として用いられています。私たちは、クリスチャンとしての歩みすべての領域、教会の働きすべての領域(伝道、みことば、祈り、礼拝、交わり、弟子作りetc.)で「聖霊の満たし」を必要としています。なぜなら、聖霊だけが私たちと天の父とのこころを結ぶ唯一のライフラインだからです。

 ◆ヨハネの福音書4章13~14節
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 

◆ヨハネの福音書6章63節
6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。 

◆ヨハネの福音書7章37~39節
7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。 

2.祈り

主イエスは「主の祈り」を通して、私たちに祈りの模範を示されました。また、弟子たちが心を合わせて祈ることの大切さについても教えておられます。主の祈りで教えられている一番大切なポイントをあげるなら、天の父に感謝し、御心を求めることです。(その他のポイントについては過去のメッセージ「主の祈り:天と地をつなぐ祈り」 https://note.com/gracehouse/n/n44963d2861d6 を参考にしてください。 

◆マタイの福音書6章9~13節
6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕 一致の祈りにも、同じ原則を当てはめることができます。

主イエスが語られた(マタイの福音書18章18~20節)「何でも」「どんなことでも」には、「何にもまして天の父の御心を求めているのであれば」という暗黙の条件がついていると理解すべきです。 

◆マタイの福音書18章18~20節
18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」   

3.弟子作り(次世代につなぐ)

 私たちに与えられているの大きな使命の一つは、主イエスの弟子を作ることです。弟子を表すギリシャ語マテーテースは「学ぶ者」を意味します。つまり、主イエスの弟子とは主であるイエスの跡に従い、キリストから学び続ける人たちを指すのです。 新約聖書に登場する弟子たちは(十二弟子もパウロも)、誰一人、完全な人はいません。彼らはただキリストの足跡に従い、キリストから学び続けた人たちでした。主イエスは、ご自身が、この地上に来られたのは、人々に仕えるためであると語られました。また、弟子たちの足を洗われ、しもべとして生きるように模範を示されました。

キリストの教え、すなわち聖書の教えに従おうとする人がキリストの弟子であると言うことができます。主イエスの教えは次の三つに要約することができます。その三つとは、神をこころから愛すること、次に、ほかの人を自分と同じように愛すること、そして、キリストの弟子を作ることです。キリストの弟子とは、神を愛し、人を愛し、キリストの弟子を作る人です。 

◆マタイの福音書28章18節~20節
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 私たちはすべて、年配の人たちも若い人たちも、次に続く世代の模範となって歩んで行くことが求められています。私たちにとって大切なのは、主イエスがなさったように、次に続く弟子たちを年齢に関係なく励まし続け、彼らが召されている働きの場へと送り出していくことです。バプテスマのヨハネは主イエスが公の場に登場された時に消えてゆきました。イエスは新しく生まれてくる教会を聖霊にゆだねて天に帰って行かれました。ペテロもパウロも、使徒たちも、次の世代に道を譲って殉教の死を遂げて天に凱旋してゆきました。

もちろん、神様はすべての世代を、ご自身の働きのためにととのえ、用いようとされています。しかし、モーセがヨシュアに神の契約と言うDNAを伝え、その働きを委ねたように、第一世代の責任は福音のDNAを次世代に伝えていくことだと思うのです。


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