主は私の羊飼い

2024年2月25日(日)

詩篇23篇 ダビデの賛歌
23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

はじめに

人々に最も愛されているこの詩篇の作者ダビデ王は、少年時代に、つつましい羊飼いとして生活していました。彼は羊飼いとその群れの羊との間にある本質的で親密な関係を理解していました。この経験が、自分と神との関係に対する彼の視点を形作ったのです。ダビデは後に、成功と挫折を繰り返し、イスラエルの王権を与えられましたが、晩年に大きな失敗もおかしました。神はダビデを「わたしの心にかなう者」(使徒13:22)と呼ばれましたが、それは、彼が何かを達成したからではなく、純粋に神を信頼したからです。 ダビデは生涯を通して、良き羊飼いである神と共に歩んだ人でした。

良き羊飼いと羊の関係

◇羊は弱く無防備です。
羊は自分を養い、自分を守るすべをもっていません。群れから離れた羊は長く生き延びることができません。同様に私たちも自分で自分自身を霊的に養い、守ることはできません。神との親しい関係の中に生きることが大切です。ダビデは神に選ばれた人でしたが、自分の無力を自覚して、常に主に頼って歩みました。

◆羊飼いは羊を愛し養います。

羊飼いは羊に食べ物、水を与え豊かに養います。私たちの羊飼いである神は私たちを愛し、私たちの肉体的、霊的な必要を満たし、私たちを敵がもたらすわざわいから守ってくださる方です。ただ、私たちを生かすだけでなく、私たちを憩わせ、豊かないのちを与えてくださる方なのです。ダビデはたびたび霊的にも物資的にも欠乏を経験しますが、その中で常に神に叫び求め、神はその必要を満たしてくださいました。

◇羊は自分の周りしか目を向けません。
羊の注意は自分の周囲にだけ向けられています。今、この時、自分の周りに食べる牧草があればそれで満足してしまいます。あるいは、切羽詰まった状況の中で途方に暮れてしまいます。羊は牧草を食べつくした後に、のどが渇いた時に、どこに行けばよいか分からないのです。また、天候が急変したり、危険が迫ってきたりしたときに、途方に暮れてしまうのです。

◆羊飼いは遠くを見て自分の群れを導かれます
羊飼いは自分の羊を豊かな牧草地に導かれます。私たちは、自分の置かれた状況、自分の身近な人々との関係、自分の目先の必要だけにとらわれてしまいますが、羊飼いは私たちをいつどこに連れて行けばよいか知っておられます。羊飼いはご自分の群れにとって何が最善かを知っておられるのです。私たちが主とともに歩んでいるのであれば、主は一番良い時に、一番良い場所に、一番良い方法で私たちを導いてくださるのです。ダビデはサウロ王に追われる逃亡生活のなかで、たびたび窮地に追い込まれましたが、すべてを治めすべてを知っておられる全能の主を信頼して歩みました。

◇羊は自分のことだけで精一杯です。
羊は群れといっしょに行動していますが、群れ全体を気にかけているわけではありません。自分のことだけで精一杯なのです。私たちは、自分の問題や必要や関心だけにこころが囚われがちな者です。ダビデは自分の問題や危機と向き合う中で、疲労困憊していましたが、葛藤を抱えながらも主に目を向けて歩み続けました。

◆羊飼いは群れ全体に目をとめ一匹一匹の羊を大切にします。
群れに数えきれないほどの羊がいたとしても、羊飼いの注意は一匹いっぴきの羊に向けられています。神は私たち一人ひとりに関心を向け、私たちの祈りに耳を傾けてくださる方です。それは私たちとの親密で個人的な関係を求めておられるからです。たとえ私たちが過ちを犯そうとも、神に立ち返るなら、神は私たちを赦し、わが子として受け入れてくださる方です。

◇羊は過酷な状況に耐えることができません。
羊は寒さには強いと言われていますが、暑さには弱く、また雨や雪にさらされると簡単に病気になってしまうそうです。私たちは忍耐のないものです。困難な状況に置かれると不満や愚痴や批判をつい口にしてしまうような弱い者です。ダビデも弱さを持った人間でした。困難な状況が長く続く中で、いらだち、怒り、なげき、神に叫び、訴えました。自分の否定的な感情をためらうことなく神に注ぎだしたのです。主が自分を受け止め、いやし、回復してくださる方だと知っていたからです。

◆羊飼いは過酷な状況の中でも羊を養い導きます。
羊飼いは自分の群れの一匹いっぴきの羊の性格や、体力、状況を知っています。神は目的を持って私たちを導いておられます。たとえ私たちにとって困難な状況がつづいたとしても、その中で私たちをなぐさめ、憩わせ、養ってくださる方なのです。ダビデは、神の変わらないいつくしみと恵みを荒野での逃亡生活の中で経験したのです。良き牧者である主は、私たち一人ひとりとどのような状況でもともに歩んでくださる方なのです。

◇羊は羊飼いの声を聞き分けます。
このように弱く、自分の周囲しか見えない、羊ですが、ただ一つ優れた能力が与えられています。それは羊飼いの声を聞き分けると言う能力です。私たちが毎日の生活の中で主と親しい関係を築き、すぐそばを歩み続けるなら、私たちは良き羊飼いの声をますますはっきりと聞き分けられるようになるのです。

◆ヨハネの福音書10章2~4節
10:2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
10:3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
10:4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。


◆羊飼いは羊の群れのために犠牲を払います。
羊飼いは、羊を守るために自分自身を危険にさらします。究極の良き羊飼いであるイエスは、私たちに永遠のいのちを与えるために、ご自身の命を捧げられました。私たちとイエスとの関係はこの一方的な愛によって結ばれています。イエス・キリストは私たちをご自分の群れに加えるために、十字架の上で血を流してくださったのです。

◆ヨハネの福音書10章10~11節
10:10 ・・・わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
10:11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

むすび

私たち、クリスチャンの人生はいつも平穏な日々が約束されているわけではありません。私たちは試練や失望、危険にも直面します。しかし、私たちの良き羊飼いである主イエスは、どんな時も私たちと共にいてくださると約束しておられるのです。ダビデのように、私たちも神との関係の中に真の慰めと平安を見出すことができるのです。主はその関係の中で、私たちをいやし回復してくださるのです。たとえ、 私たちが過ちを犯しても、主に立ち返るなら、主は私たちの魂を回復してくださいます。 私たちが神に叫ぶとき、神は私たちの声を聞いてくださるのです。

大切なのは、私たちの羊飼いの声に耳を傾け、従い、信頼することです。良き羊飼いが私たちのそばを歩き、私たちを永遠の家へと導いてくださるという素晴らしい祝福を覚え、ダビデのように、今日、神を賛美しましょう。



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