その土台とはイエス・キリストです。

主題聖句

◆マタイの福音書7章24~27節
7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

◆コリント人への手紙第一3章6~17節
3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
3:8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
3:9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

私たちは、毎日、立ち止まって、自分の願い、思い、考え方、生活や生き方、身近な関係を見直してみる必要があると思います。聖書は、私たち自身が神の家(神殿)であり、その家が据えられるべき土台がイエス・キリストであると教えています。私たちはどこに立って生きているでしょう。どのような土台の上に、自分の人生、家庭、関係、仕事を築こうとしているでしょうか?聖書は、イエス・キリスト以外の土台が、実に不安定で不確かなものであり、洪水や地震(大きな変化や困難)が起こった時に、あっけなく崩れてしまうものだと警告しています。

イエス・キリストを土台とした生き方とはどんな生き方なのか、4つのポイントをあげて、いっしょに考えてみたいと思います。私たちは、イエス・キリストを通して、聖霊の助けにより、神の子どもとして、天の父との親しい関係の中に生きる特権が与えられています。そこに人生の土台を理解するヒントがあります。

1.天の父を知る

イエスは常に天の父と心を一つにし親しい関係の中に歩まれました。そして、その同じ天の父との関係の中に生きるようにと、すべての弟子たちを招いておられます。祈りとは天の父との対話です。天の父はいつも私たちに関心を向けておられます。私たちの祈りに耳を傾け、応え、ご自身がどのような方かを私たちに教えたいと願っておられるのです。私たちがイエスの御名によって祈る時に、聖霊は私たちの祈りを助けてくださいます。

2.天の父の目を通して自分を見る

天の父はイエスに向かって「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3章22節)と語りかけられました。イエスは天の父のことばを受け止め、地上での生涯を常に天の父の愛の中にとどまって歩まれました。私たちは未完成で欠けの多い者ですが、イエスにつながれている私たちに、天の父は同じように「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と、語りかけてくださるのです。

3.天の父の目を通して周囲の人々を見る

イエスは、父がご自分を遣わされたこと、また、ご自分が失われた人を探して救うために来られことを証しされました。イエスは常に天の父の眼差しを通して、周囲の人々をご覧になっていました。人々が、罪や病の中で苦しんでいる姿を見て、こころから憐み(マタイ9章36節)、ご自身のもとに安息を得るようにと招かれました。(マタイ11章28節)私たちが、天の父との親しい交わりに生きることを学ぶなら、私たちは自分だけでなく、周囲の人々をも天の父の目を通して見ることができるようになるのです。

4.与えられたものを分かち合う

イエスが十字架にかかられた尊い目的の一つは、ご自分のもとに来るすべての人々にご復活(永遠)のいのちを分け与えるためです。イエスは、私たちが罪の束縛から自由にされるために、私たちの罪を負って裁かれ、私たちが神の子どもとされ祝福の中に生きるために、呪われた者となり、私たちが癒されるために、病を負ってくださったのです。物質的な恵みも、霊的な恵みも、すべては天の父が私たち一人ひとりに与えてくださったものです。聖書は、神の子どもとされた私たちを、父がどのような境遇の中でも、満ち足りた者としてくださると約束しています。しかし、これは私たちのわがままな願いを神様がなんでも実現してくださるということを意味してはいません。

天の父は、愛するひとり子を犠牲にして、私たちに与えてくださった恵みを、私たちが他の人々と豊かに分かち合うことを願っておられます。神の家族の交わり(コイノニア)の本質はイエス・キリストのいのちを分かち合うことです。また、宣教の本質は、罪の中に失われた人々にイエス・キリストにある豊かないのちを伝えることです。

上にあげた4つのポイントは、信仰の土台となる大切な真理です。単純な真理ですが、忙しい私たちにとって、毎日、天の父との対話を続けて行くことはチャレンジかもしれません。また、天の父の眼差しを通して自分自身も見続け、周囲の人々を見続けること、天の父が語りかけられるように語り続けることは、私たちの感情に反することかもしれません。しかし、それを続けて行く時に、ゆっくりであっても必ず変化が訪れるのです。この変化は、まず、私たちの心の中に始まり、私たちの身近な関係へと広がって行きます。私たちは私たちの生活の中に、小さな神の国が広がって行くのを経験するようになるのです。


参照聖句

◆ルカの福音書6章47~49節
6:47 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
6:48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
6:49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」

◆マタイの福音書24章35節
24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

◆ペテロの手紙第一
2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
2:3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。
2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
2:5 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
2:6 なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」

◆ヘブル人への手紙12章26~29節
12:26 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」
12:27 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
12:28 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。
12:29 私たちの神は焼き尽くす火です。



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