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「女性史を描く」アートセラピー

先週末、アートセラピーのワークショップに行ってきたということをちょいちょい書いてきた。
その一コマについて書いてみる。

テーマの根本に、「女性性」があったこともあって、2日目のワークでは自分と母親、社会の女性史を表現するというものがあった。
布に時間経過に応じたバイオリズム、その時々の体験を表現していく。

約40年分の自分の体験を振り返りながら白い布を見つめていた。
それはもう何度もやっている作業だからか、その時点ではあらためて感じるものはあまりなかった。
けれど、大体の構成を決めた後に実際にそのワークで描いたり縫ったりという作業に没頭していくうちに、思いが深まっていく。


わたしの女性史

ふと、自分の持っているものの豊かさを思った。
こういうワークをしていると、自分の受けた傷とか厄介な記憶とか理不尽さなど「ない」ものばかりを思い浮かべてしまう。

けれど、姉や母本人から聞いた母の話を思い出して、涙が出てきた。
高校生だった母は、「大学に行くなら女の子は家政科しかだめよ」と言われたそうだ。
認められたくて勉強してトップクラスの成績を取っても、それは変わらない傍で、男である弟は「長男」という理由で成績など関係なく持ち上げられ、大学に進学した。母には姉がいて、同じ女性でも「長女」と「次女」の格差も大きかったようだ。

母は厳しく、わたしにとって「毒親」だった。
いつも頭の中でわたしをジャッジし差別し続ける母から40年以上逃げ続けてきた。

けれど、母に感謝し母を尊敬している部分もあったことを思い出した。
母は、わたしに「女の子だから」という制限をかけることはほとんどなかった。
無自覚に兄を贔屓していることはあったし、父は「一番先」のような家族の文化はあったけれど、それでも母の育った環境に比べればそれは微々たるもので、おそらく母は自分に課せられた運命に抵抗していたのだと思う。

だから、わたしは理系の大学に進学して何とか卒業し、今はひとりで子どもふたりを育てていけるだけのある程度の経済力を持っている。
昔のどこかの女性のように、自分自身を切り売りする必要はなく、自分の力でなんとか生きていけている。

わかっていたけれど、あらためてそんなことを思った。

その後、ハプニングがあった。
その布を持って海に入るワークでわたしはその布を失くしてしまった。
翌日のワークで使うから、とペアになった女性も一緒に探してくれたのだけれど見つからなかった。

けれど、翌日のワークの内容がわからないのに、わたしの中に全然焦りはなかった。
なんとなく、必然のような気がしていた。
海に入る前に写真を取っていたのも、それがどこかでわかっていたからのような気がした。

そして、翌日のワークはその「女性史」を塗り替える?塗りつぶす?書き換える?ような作業だった。

もう一枚のまっさらな布が渡された瞬間、わたしは「もう忘れていいよ」と誰かに言われた。
全部忘れていいのよ、まっさらな未来を創ってね、と。

その時、昨日の布が海に持って行かれた意味を理解した。
本当は昨日の布と合わせて、今日の新しい布に描いていくのだけれど、わたしにはもう昨日の布が必要ないらしい。

わたしは、まっさらな布にただただ光だけを描いた。
どうかたくさんの悲しみが光で昇華されますようにと願うような気持ちだった。


肉体のわたしは、受け継がれた血統のほぼ先頭を走っている。
一つ前には娘たちが走っていて、その後ろだ。
後ろはたくさんのご先祖様が横たわり、少し後ろを母と父がついてくる。
わたしはその全てから願いをおそらく託されているのだ。

こういう見えないプレッシャーとかを勝手に知らぬ間に背負わされるのは実はすごく苦手だし、重いと感じてしまう。
けれど、今日は、今日だけは全身にそれを受け止める日だと思った。

2年前、わたしは母に手紙を書いた。
その中に「子どもは母親の思う通りには生きてくれないけれど、願う通りに生きてくれる」という言葉について書いた部分があった。
その時に思ったのだ。
わたしは母の理想とする娘にはきっとなれなかったけれど、母がなりたかった女性にはある程度なれたかもしれないと。
誰かの力を借りることなく、ひとりで自分の力で生きていける力を持った女性に、たぶん母はなりたかったのだ。
だから、母に「ありがとう」と書くことができた。

今回のワークで、もう一度あの時のことを思い出した。
忘れていいよ、そう言ったのは母かもしれない。

そして、歩いてきた時間を振り返った。
2年前のあのときは、ひとりで深夜のマクドナルドで母への手紙を書いた。
薄暗くなっている店内の片隅でこっそり泣きながら一文字一文字手書きで書いた。あるいは、娘たちが寝静まった深夜、トイレやお風呂で内省して、朝に腫れた瞼を見た長女に怪訝な顔をされた。

今回は、ひとりではなかった。
ワークをしていても、振り返ればそばに誰かがいた。
真剣に作業に向き合っているメンバーや、見守っていてくれるスタッフの方がいた。
見られるのが苦手なわたしだけれど、なぜか今回はそれを感じなかった。
シェアをすれば誰かがわたしと一緒に泣いてくれた。誰かのシェアが忘れていた大事なことをもう一度わたしのところに連れてきてくれた。
疲れて帰れば、おいしいごはんが用意されていて、「美味しい」と言いながら一緒に食べてくれる誰かがいた。
ふわりとした布団に疲れた身体を委ねる瞬間、その日が鮮やかに蘇る。
空と海の青さと、波の音と、女性たちの声と。

色々な年代の初めて出会った女性たちと濃密な何かを分かち合った時間。
それは、月並みな表現だけれど、本当にすごく貴重で豊かな時間だった。

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