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歴史探訪ドライブ ~敦賀編~

さて、次なる目的地は嶺南地方は福井県敦賀市。
福知山から敦賀へは、舞鶴若狭自動車道を走って約1時間半の道程。まだできてそれほど年数の経っていない新しい高速道路。
若狭湾を左に見ながらの快適なドライブでした。

日本三大松原の一つ気比の松原

長さ約1km・広さ約34万m²という広大な松原。ゆっくり歩いて散歩したらきっと気持ちいいでしょうね。あいにくの曇天でしたが、青く晴れ渡った晴天の日にはきっとさらに美しい景色が広がっていることでしょう。

延々と海岸沿いに生い茂る赤松、黒松の林
国際港だった頃の往時を偲ばせる敦賀港
その歴史は古く、江戸期には北前船の重要拠点でもありました。

新橋からの鉄道旅に続き、多くの先人達がそれぞれの大志を抱き、ここ敦賀港からシベリアへ、そして欧州へと旅立っていきました。
今なら半日で行けるヨーロッパですが、当時はシベリアからさらに気の遠くなるような長い鉄道の旅を経て、やっとの思いで目的地にたどり着いたんですね。(なんとなく大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」で金栗四三さんたちがストックホルムオリンピックに向けて長い旅を続けたシーンを思い出しました。金栗さんもきっと敦賀から旅立ったんでしょうね。)

人道の港 敦賀ムゼウム

ここが一番以前から行ってみたいと思っていたところでした!

現在のムゼウム(資料館)の建物の外観は、大正から昭和初期に敦賀港にあった敦賀港駅や税関旅具検査所などの4棟の建物を当時のそのままの位置に復元したもの。国際港だった頃の港の様子がなんとなく想像できるようなデザインですよね。

そしてこの港は、多くの日本人が大陸に向けて旅立っていったのとは逆のルートで、大陸から命からがら逃げ延びてきた人々の命をつないだ場所でもあります。
1920年代にロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児が、1940年代には杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民がここ敦賀港に上陸しました。

不安と恐怖で身も心もボロボロだった彼らを、当時の敦賀の町の人たちが温かく迎え入れた時の様子や、無事に生き延びた彼らの証言、今も続く彼らの子孫たちとの交流の記録が資料館を訪ねると分かりやすく展示されています。

ムゼウムの前に立つ案内板

杉原千畝氏の生誕の地岐阜県八百津町にある「人道の丘公園 杉原千畝記念館」と合わせて観ると、さらに当時の歴史が深く読み解けると思います。

にぎやかだった往時の港の様子を彷彿とさせる赤レンガ倉庫

さて、打って変わって今度はちょっとミーハー根性丸出しの観光です!(^^)!
敦賀駅前のシンボルロードモニュメント。

JR敦賀駅前の商店街添いに数メートルおきに点々と建つ銀河鉄道999のキャラクターたち。時間が迫っていて残念ながら見れませんでしたが、道の反対側には宇宙戦艦ヤマトのキャラクターたちが建っているそうです。

松本零士さんが敦賀の出身なのかしらと思ったらそうではなくて、1999年に敦賀港開港100周年を記念して建てられたモニュメントなのだそうです。東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、当時は「日本有数の鉄道と港の町」だったということで、宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999をイメージキャラクターとして採用したということみたいですね。

鉄郎。いささか原作よりイケメンになってる!?
謎の旅先案内人メーテル!懐かしいー!

そんなこんなで、新車を迎えに行きつつ、充実した旅の思い出が作れたGWでした(*^-^*)
自己満足の旅の思い出にお付き合いいただきありがとうございました!