見出し画像

失われた 10 年 -僕の場合-

ライブハウスが危ない、って言わないでよ潰れるよ!っていう話を読んだりしてて、ああ、そうだな大変だな、って思いながら、一方でなんか違和感があった。

BAD HOP が無観客で配信しました、クラウドファンディングで助けよう!っていうのを読んで、おお、流石だな。いいぞいいぞみんな助けたらいい、と思いながら、これまた一方で (お前は助けないんかという自問自答以外にも) 違和感があった。

今日帰ってくる途中に気付いたのだけれど、それは、そこってもう俺たちだいぶ前に通り過ぎてたはずじゃなかった?ということだった。

2011 年の 5 月 3 日に、フィッシュマンズが日比谷野音で 20 周年コンサートをやった。東日本大震災の直後で、この模様は Ustream でライブ配信された。思い出していただけましたでしょうか。

https://tower.jp/article/news/2011/04/25/77551

この時すでに僕はああ、今日東京に行けない俺でもあのコンサートに参加できる!という興奮を味わっていて、その後も色々そういう配信を観ては拍手を意味する「88888」なんてメッセージをチャットで送ったりしていたのだ。なんだよ、みんなやってたんだよ!

その場に行けなくても参加できる、田舎からでもいろんな機会に触れることができる!!というのは、思わずビックリマークを 2 つ付けちゃうくらいの興奮で、今でも特定の場所に集まる集団の内輪の雰囲気が本当に苦手な自分にとって、明るくはないまでも真っ暗でもない自分の社会との関わり方を信じさせる大きな理由のひとつだった気さえする。
その後の 10 年足らずの間に、いつのまにか自分の価値観や行動様式が、はるかに後退していることに気づいて愕然としてしまった。SHOWCASE とかなんだったらアホがやるもんだくらい思ってた。ああ、そうなんですかご家族が (苦笑) みたいな。あの時の俺をぶん殴りたい。

いつの間にか、自分が身体を伴ってキャンプインフェスとかに「参戦」するのを嬉しそうに SNS にアップしたりして、いい場所に居る自分の、居ない人に対する優越感みたいのに浸ってたし、いい場所勝負に引きずり込まれていた。もうちょっと自分に厳しくいうと相手なんか居ない虚空にいい場所勝負を仕掛けていた。おいやめろ。もうわかったので勘弁してください。

自分が立つべきは持たざる側だしその場に居ない側だったはずなのにというこのテーマはちょっと危険すぎるので横に置くと、これを機会に、ライブハウスや小劇場などが実際の公演について、配信からも収益を得られる仕組みが急速に進むだろうことは上記の理由でもすごくいいことだと思う。ここで、いややっぱり生の現場の熱気じゃないと、とかいってやらないところは、まぁこういう時には営業停止になったほうがいいんじゃないですかね。

というかこう書いてても違和感がある。なんで自分はライブ配信からこんなに遠くに来てしまってたんだろうか。上述の SHOWCASE しかり、色々サービスはあるんだろうけど、いつの間にか全然触れなくなっている。なんでそうなったか正直自分の記憶がない。政府とかメディアに洗脳されてたとかグレイのあいつにアブダクションされてたって言われてもちょっと信じかねない。やべーまじで失われた 10 年だよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?