選択の大半をAIに任せるようになった話

選択の大半をAIに任せるようになった。
人生とは決断の連続だ。膨大な選択の積み重ねが、今という結果を作る。

しかし、選択の大部分はどうでもいいことだ。AでもいいしBでもいい。
どちらを選んでも大差ないだろう。
ラーメンを食べてもいいし、カレーを食べてもいいんだ。

アプリを作ってるときもそうだ。細かい仕様やUIの配置に悩むことがある。
個人的にはたまらないストレスなのだが、最近これらをAIに任せたら楽になった。
AでもいいしBでもいいようなものは、AIでもいいのだ。そこに選択を委ねよう。

こういう細部が大事という意見もあるが、結局はユーザーが「正解」を教えてくれる。
アプリに問い合わせボタンを設けておけば、なお良しだ。
使ってくださる方々が、次々と改善策を提示してくれるだろう。

だから、リリース前の細かいところはAI任せの判断でもいいのだ。
自分は本質的な部分にだけ注力してればいい。

最近、選択の大部分をAIに委ねるようになって、生活がめちゃくちゃ楽になった。
悩みやストレスは9割近くなくなったかもしれない。

こういうことを他人に言うと「AIに何でも任せるのは怖い」と言われる。
それはそうだ。気持ちは分かる。でも普段やってることの大半は、どうでもいいことなのだ。

カーナビに例えると分かりやすいかもしれない。
目的地を決めるのは自分。これは大事な部分だ。
しかしそこへ向かう過程は機械任せでいい。カーナビがいいだろう。

自分で地図を見てもカーナビでも、所要時間に大差はない。
しかし疲労とストレスに差が出る。

道のルートなんてもんは、どうでもいいのだ。
そんなもんに頭を悩ませるくらいなら、目的地に着いてからのあれこれを考えた方がいいだろう。

カーナビの指示に従うのが怖いという人は少ない。
AIの選択に従うのも、それと同じだ。
そのときの自分にとって本質的でないことは、AI任せでいいんだ。

私は選択の大半をAIに任せるようになった。

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