クオリティとは相対的なものである

クオリティとは相対的なものである。
それを披露する場所によって、評価は上下する。
アプリ開発に繋がる話なのだが、少々前置きを書かせていただこう。

私は高校を一ヶ月で辞めた。それでアルバイトをしながら一人暮らししてたのだが、そこで選んだのは窓拭きの仕事だ。
ローブやゴンドラを使った、高所作業のあれだ。

そんな10代を過ごしてる最中、M氏という男に出会った。
彼は、私がバイトしていた会社の先輩で、知り合った時点では独立していた。
清掃の何でも屋として、床、ガラス、ハウスクリーニングなどを手掛けている男だった。

そんなM氏と出会ったきっかけは、バイトしていた会社の社長が世界一周旅行に出ることだった。
半年以上留守にするにあたって、代理の社長となったのがM氏だった。

はっきり言って、M氏の窓拭きスキルは低い。素人に毛が生えたようなものだったのだが、負けず嫌いのM氏は他のスキルをアピールする。
「床清掃っていうのはさ〜」とか「ハウスクリーニングは難しいよ〜」みたいなことを言ってくる。

ウザいことこの上ない男だったが、自分が大人になり評価は変わってくる。
彼は自分がいる場所によって、アピールポイントを変えていたのだ。

私たちのようなガラス屋の前では、床の大変さをアピールし、床専門業者の前では、自身のガラススキルをアピールする。
正直、コウモリみたいな男だなと思った。鳥と獣の間を行き来する姑息な男だ。

そんな彼への評価を改めたのは、自分が独立してからだ。
窓拭きの仕事を取ってくる先は、主に3パターンある。

・同業者
・床屋(ゆかや)
・その他(ビル管理会社、不動産屋、店舗オーナー)

上から順に単価が低い。なぜなら私への評価が低い(彼らでも出来る)からだ。

これに気付いたとき、M氏のあれは戦略だったんだなと思った。
まあ性格的に合わないので、いまだに氏のことは嫌いなのだが、仕事の質というのは相対的なものなのだなと知った。

アプリ開発に参入したとき、周りのクオリティの高さに唖然とした。
こんな中でやっていけるはずがないと思ったのだが、思い出したのはM氏の例だ。

一口にアプリと言っても、それは多岐に渡る。というか、今どきは何でもかんでもが「アプリ」だ。
そうなれば自分がM氏になれる場所がある。
世間から見れば大したことなくても、その場所ではトップクラスになれる(自慢できる)場所があるのだ。

クオリティとは、相対的なものだと思う。
目先の勝ちを拾うのであれば、そういう場所を目指すのが得策だろう。

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