ようこそ 犬語の世界へ うなるけど安全な犬...
房総半島にある田舎家にも春の訪れは風の強さと共にやって来ます。
半端ない強風にあおられ、散歩もままならない...この季節に見学していたら購入なんて考えなかったかも😅
それでも田舎のない私たちにとって、房総半島の片隅の田舎の家は都会の川縁の自然とは違い、豊かでありワイルドそのもの。
「イノシシ出没 早朝、日没後に注意⚠️」なんていう立て看板みると、いつイノシシに出会えるんだろうかとワクワクしているのですが、いまだに出会えていません。
さて、田舎家ご近所には案外犬飼さんが多く、10年近くの田舎家への行き来で犬飼の顔見知りも増え、声をかけてくれる方も増えてきました。
その中に柴犬のP君がいます。
柴犬のP君はいつも寡黙にママさんと歩いています。
ずんずんと前を歩き、勢いよく足をあげてマーキングをします。
ママさんはニコニコと声をかけてくださる人ですが、P君はその反対...眼光鋭く「オレに気安く近づくんじゃねぇ」という雰囲気を持つ犬です。
初めてベルジアンズと遭遇したときのP君は少し驚いたはいましたが、低くうなり、前肢で踏んばっていました。
P君のママさんはそのうなり声を聞くと「またこの子は友だちがだからできないのよ❗」と叱りますが、当のP君にはその叱りは通じていません。
P君のうなり声が危険でないことはベルジアンズのボディランゲッジが教えてくれます。
リデルは鼻からP君に挨拶つもりはないのですがだからといって排除するボディランゲッジもなく、まあアンタがその距離保つなら許すという感じで佇んでいました。
チェシアは自分の宥和テクニックに自信があるので、寸時のバウポーズの後に自分のお尻をP君に向けました。
驚いたのはP君...お、ちょっ何、オマエとうなりながら後退するも、ゆさゆさの尾っぽと共に自分とは違う性を持つ匂いの流れに反応し出しました。
あれ、ちょっ...もしかして?と、再び嗅ごうと首を伸ばしたところでうなりがでてしまい、ママさんがシュルっとリーシュを引いてしまいました。
その刺激でP君はますますうなり、そのうなり声も大きくなってしまい、ママさんは私たちに謝りながら離れいってしまいました。
その後も出会えばうなるP君ですが、P君のうなりが安全であるのはわかっているので、私たちは軽く立ち話をし、その時間が徐々に長くなり、次の曲がり角ぐらいまでは一緒に歩けるようになり、いつしかP君は私たちのいる田舎家前の道を必ず通りたがるようになってくれました。
P君のママさんは、P君がうなるのをしつけが悪いからと決めかかっていましたが、しつけが悪い訳じゃないこと、P君のうなりが安全であること、P君が本当に噛む犬なら初対面でベルジアンズは噛まれているはずですと、P君がうなる都度叱るママさんにお伝えしていました。
P君はチェシアにうなるのは自分の要求があって、チェシアにそれを伝えているだけで、怒っているわけでも噛もうとしているわけではないのです。
自分のペースや距離の詰め方があるようで、それを伝えているだけではないかと思われます。
とかくフレンドリーで柔和な犬は好まれますが、P君のような犬の挨拶の礼儀にうるさいタイプは少々損をしているのでしょう。
安全な犬とはフレンドリーで誰にでも触らせてくれる犬と思われがちですが、ボディランゲッジが明確にわかり、情動の変化がよく見える犬はもっとも安全な犬なのです。
何を考えているのかわからない人っていう表現がありますが、犬でも表情を変えずに突然攻撃してくる犬がいます。
なぜそうなってしまったのかはいろいろ原因はありますが、人が犬たちの言葉を奪っていることも原因のひとつです。
うなることは悪いこと、吠えることは悪いこと、逃げるのは悪いこと、嫌がるのも悪いこと、人に触らせないのは悪いこと...私たち人間目線での犬の行動への善悪は、犬の言葉をも取り上げてしまっていることもあるんです。
「声あるものは幸いなり」...斎藤緑雨さんの言葉ですが、人間が声を使い、言葉を使い伝えることができることは本当に幸せです。
声はあるけれども、ノンバーバルな犬たちにとって全身を使うボディランゲッジを人によって否定され続ければ、容易く壊れて見えなくなってしまうのです。
P君は今ではチェシアを見ると駆け寄り、相変わらずうなるのですが、チェシアの臭いを嗅いで満足し、しばらく一緒に肩を並べて歩きます。
垂れ尾っぽと巻き尾っぽの揺れ加減はこの上なく穏やかで、ママさんと私は犬のこととは違う話題で盛り上がりながらも、犬の後を歩くことで満足な犬飼の間柄なのです。
うなるからと犬を罰する、叱ることのない犬飼さんやドッグトレーナーが、一人でも増えることを願う日々なのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?