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演劇の好み

扉座の横内さんのブログを読んだ。

アングラから小劇場へ、そして今は何だろう、エンタメかな。
私が演劇を始めたのは中学生のとき。演劇部に入ったのだ。
そのころはキャラメルボックスがちょうど出始めたころで、高校演劇(お姉ちゃんが出てた)で初めて「不思議なクリスマスのつくりかた」をみたころ。まだまだ”わかりやすい演劇”のようなものはあまりなくて、大きな本屋さんに並んでいる戯曲といえば、別役実、鴻上尚史、野田秀樹、唐十郎・・・アングラ名残の小劇場全盛のころだったのかな。図書館で借りた本を読んでも全然意味が分からなかった。先輩の影響で宝塚にはまったのもこのころ。すっかりヅカファンになった私は、せっせと宝塚大劇場に通っていた。ヅカファンは大学に入るまで続いた。

そして、高校生になったころにはすっかりキャラメルボックス全盛期、高校演劇の夏の大会で上演される演目が、全30校のうち1/3が成井豊というような時代。京都の高校演劇ではあまりオリジナル作品をするところが少なかったからかもしれない。そして高校3年生のころ、初めて小劇場を見に行くことになる。はじめは演劇部に届いていた招待券だった気がする。演劇部だとちょこちょこDMがくるので、そのDMを使って小劇場に通いだす。もちろんバイトもしてないので高い芝居には行けなかったけれど。そんな時に、とある中堅劇団のオーディションチラシを発見し、無鉄砲な演劇少女だった私は、初めてオーディションなるものを受けたのだった。この劇団は、アングラ×小劇場っぽい、ノスタルジックな作品を上演する劇団だった。

ありがたいことに、その劇団に参加できることになり、濃密な時間が始まる。まあまあな年齢層の中堅劇団だったし、みんな仕事終わりにアトリエに集まって夜中まで稽古していた。私はまだ高校生だったから「こっちからは時間を教えたり、帰れと言ったりしないけど、ちゃんと自分で時間をみて、ちゃんと終電で帰りなさい」というようなことをいわれていた。結局、大学が西宮だったため、この劇団にいれたのは3ヶ月だけだったけれど、本当に濃密な時間だった。私の演劇に関する基礎はこの3ヶ月に教えてもらったものだ。

そして大学でも演劇部に入ってしまう。このころから堰を切ったように劇場に通いだす。キャラメルボックスや第三舞台をはじめとして、結局4年で100本近い作品を見た。演劇部の友達を誘って、自称「歩くチケットぴあ」とか言っていた。このころに好きだったのは、キャラメルボックスや惑星ピスタチオ、新感線など、どちらかといえばエンタメ系の作品だった。

大学卒業後、ちょこちょこと制作の仕事にかかわり始める。だんだん芝居の好みが変わってきたのは、30代を過ぎたころだろうか。エンタメ系の作品がより多くなってきて、音と光で派手にやるのがかっこいい!という作品が増えてきたころ。かっこいいシーン、ダンス、殺陣などなど、”魅せる”作品を重点的にやる団体が増えてきたように思う。そんななか、私の好みはどんどん不条理な方へ、難解な方へ、ストーリー&人物描写がいい作品へ変わっていく。このころには、人と一緒に芝居を見に行くことが減り、一人でどんどん見たい芝居を見に行くようになっていく。遠征を始めたのは'09年ごろから。古典を見に行き始めたのもこの頃からだった。そして気づけば、すっかりエンタメ系には興味がなくなり、年間100本近い作品を見に行くようになり、遠征もざら、いまはアングラ&小劇場、古典が大好きな観劇クラスタになった。制作の仕事も、年間1本~2本など、私が好きな団体にだけかかわらせてもらっているので、好みの作品にだけかかわっているような状態だ。

横内さんのブログを読んで、ふと思う。

私は演劇を届ける立場でもあり、観に行く立場でもある。この2つの視点をきちんと平均的に持ち続けていることが必要だと思っている。なかなか”平均的に”というところが難しいのだけど。これからは、観る方も、届ける方もいろいろと考えなければならなくなるだろう。届ける立場としては、感染症対策もしつつ、採算も考えなければならない。観る立場としては、自己防衛もしなければならないだろう。私が小劇場を見始めたころ、小さな劇場でぎゅうぎゅうになってみた作品。汗だくになって駆け回った舞台。人と人が密につながって接して作り上げる”演劇”という芸術のこれからを模索しないといけないだろう。でも悲観はしない。きっと新しい形がまた出来ていくと思っているから。私は一人ではないのだから。

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