情報量

 どうも。お久しぶりです。スマです。

 僕はネタバレを極端に嫌っているという自信がある。というか、普通に考えればネタバレ認定されないレベルの情報(映画のあらすじとか)ですらできればシャットアウトしたいと思っているのが僕である。実際はそもそも摂取するコンテンツを決めるためにある程度の情報が必要だから、そのために公式の紹介を読んだりはするけど、自分で楽しむと一度決めたものについては、それ以上の情報を一切求めないどころか排除したくなるというわけだ。

 ガンガンTwitterやってる時点で失敗はほぼ約束されているが。

 それで、何故そこまで情報を入れたくないかといえば、それはひとえに「自分で知りたいから」だ。別に強調するようなことでもない。カギカッコがついているのは区切りをわかりやすくしているだけである。

 もっと言えば、僕は自分で情報を拾うのが好きなのだ。ゲームにしろ映画にしろ小説にしろ、目の前で起こっている出来事について自力で理解したり解釈したりするのが好きで好きで仕方ない。合ってるかはひとまず置いておいて、情報を見つけたり、それらを元に考える過程が大好きなのだ。

 これが進行すると逆に「自分で情報を拾えるコンテンツが好き」、つまり『まちカドまぞく』とか『僕ヤバ』を主食とする伏線・小ネタ大好きマンに進化するのだが、これはまた別の話と言えよう。ここまでの話に共感した人は絶対に両方読むべき。


 で、こんな生活をしているとどうしても気をつけなければならないのが、「間違っても同じことを現実でやらない」ことだ。

 ここまでで僕が話した内容というのは、言ってしまえば「推理好き!楽しい!」くらいのもんである。コンテンツを摂取しながら見つけた小さな違和感や疑問等を繋げて形にしていくのは楽しいし、それを誰かと共有するのも楽しい(いわゆる考察班)。相手はフィクションだからその推理の正しさもある程度は気にしないでいられる。

 そうなると、生活していて何か細かいことが目に留まることもあるかもしれない。あるかもしれないが、そこで色々推理したところで、それがただの名探偵ごっこでなければなんなのかという話である。

 そもそも、現実に転がっている情報は大抵(フィクションと比べると)色々考えるには不十分だ。十分な情報が無いのに自分が知っている範囲のことだけを結びつけてもせいぜい「短絡的な思考」止まりだろう。いい例えが思い浮かばなかったからここで無理はしないでおくが、スマブラの桜井さんの言葉を借りて言えば、”事実はそう単純ではない”ということか。この”事実”は、一般人がどう頑張っても知ることができないような場合もある。


 (だからと言って陰謀論を持ち出すのはやめようね!)


 僕は考えること自体は悪いと思わないしむしろ積極的に色々考えるべきだと思うが、十分な情報が手元になければ考えたって当然わからないし、そんなことは基本的に考えてもしょうがない。現実にはその「考えてもしょうがないこと」がかなり多いように思う。世の中は知り得ないことばっかり。生きていればそれでも考えなければならないこともたくさんあるが、今は目を逸らしておこう。

 物事を考えるなら、それを意味のあることにできるだけの情報を自分が持っているかをまず検討するべきだと思うのだ。



 「みんなで思考停止しよう!」って言ってるみたいに見える気がしてきたけど、全然そういうことではないんだよな...... 

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