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日々を綴る(11)

今日は仕事中にたくさん文章を書きました。たくさんといってもわたしにとってたくさんというだけで、もっともっと書いている人からすると大したことのないレベルだと思いますが、人と比べてもなんの意味もないので、比べないことにします。人は自分と他人と比べてしまうもの、かもしれませんが、比べても本当に意味がないですよね。自分を否定しやすくなるばかりです。

「自己肯定感」という言葉はあまり好きではないのでできるだけ使いたくないのですが、よく耳にする言葉ではあります。好きではないと言いつつ、わたしも使ってしまっていることがあるんじゃないかなと思います。
かつてわたしは、この自己肯定感とやらがとても低い子どもでした。自分のいいところなんてひとつもなかったし、得意なこともなかったし、褒めてもらえることも、きっとゼロではなかったけれど、多くなかった。たぶんそれは限られた狭い世界の中にいたせいで、広い世界にはいろんな人がいること、いろんな人生があるということをよく知らなかっただけなんだと、今となっては思います。

「退路を断っているかどうか」という話をしていました。
どちらかというと、わたしは退路を断ってきたという自覚があります。どちらがいいとか悪いとかではありません。退路を断ったことで失ったものもあります。その代わりに得たものも、たぶんたくさんあります。わたしは「自分の人生もそんな悪くない」と思うことができていますが、それは「その代わりに得たもの」がたくさんあるからだと思っています。

「その代わりに得たもの」にはいろんな種類のものがありますが、その中のひとつに「自分が今いる環境を面白がることができる」というものがあります。わたしがよく感じる「こんなところでこんなことをして過ごしている自分が不思議」という感覚とかが、まさにそれだったりします。
もちろん、このままだと死にたくなるというくらいの環境であれば今すぐに放っぽりだして離れた方がいいと思いますが、そうでないなら、「こんな性に合わないことをやっている自分、面白すぎ」とか言って笑っちゃったりしながら、未知の世界に片足を突っ込んでみるのも悪くないよなあと思って、今日も生きています。


今朝は出勤前に海岸へ寄りました。
時間に余裕があったわけではなく、海岸に着いたのは始業開始の10分前、この1枚を撮ったのは9分前。このあと、目を閉じて波の音を聞きながら大きく深呼吸をしてから職場へ向かってもまだ開始2分前なのだから、本当に最高な環境です。

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