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日々を綴る(5)

5日目。斜里では今日が仕事始めというところも多かったようです。今日仕事して、また明日から3連休。正直その方がしんどそうだなと感じます。

「お正月くらい休みたい」という言葉をよく耳にしますが、わたしはどちらかというと世間が休んでいるときに休む方が好きなので、普通のなんでもない平日に休めるのであればお正月は仕事するのでも全然OKと思ったりしています。とは言いつつ、札幌で働くのをやめてからはお正月は毎年しっかり休むことができているなあということに、いま気が付きました。…いや、一度だけ働いたお正月があったかもしれません。でもそのときは少ない人数で最小限のことだけをやるという感じで、雰囲気はかなりゆるゆる、気持ちはずいぶん楽だったような記憶があります。
なんにせよ、休めるのであればそれがいちばんであることには間違いありません。

今朝は少し天気が崩れていましたが、お昼頃からだんだん晴れてきたので一瞬だけ海岸に寄りました。青い空が見えているものの、防波堤が隠れるくらいの高さの波が打ちつけていました。海岸の砂丘もずいぶん抉られて、もうひとつのわたしのお気に入りの海岸ほどではないものの、ちょっとした崖ができあがっていました。波が落ち着く頃にはまたたくさんの漂着物が姿を見せているのでしょう。拾っても拾っても流れ着くごみ。ごみだらけの世界だなあと感じます。

年末に挨拶に来た人たちが、企業名入りのカレンダーを置いていきました。こんなに使いきれないのになあと思いながらも、断ることもできず職場にはカレンダーが溜まっていきます。あちこちでそんな状況になっているのでしょう。「昔からの文化だから」と言われたらそれまでですが、それでも、この文化はそろそろ変わっていってもいいのでは?と思わずにはいられません。残らずすべてのカレンダーがどこかで使われて役目を全うできているのであればいいのですが。未使用のままごみになっているカレンダーがたくさんあるのではと思うと、なかなかむなしい気持ちになります。
斜里での日々の中では、ごみのことを考える機会も増えました。

今日の夕方には職場の窓から綺麗な色の空と月を眺めることができました。
「月が綺麗だ~」とわたしがこぼして、どれどれ、あっ、本当だ!と職場の人たちが反応してくれて、月と、空の色の話と、大晦日の夕方の海別岳がすごかったよねとか、斜里岳もよかったですよとか、斜里と清里と札弦の斜里岳の見え方の違いとか、そんな話を少ししました。それぞれ抱えている仕事があってそれぞれが黙々と作業する中で、ふとしたときそんな話題でわいわいできるのは、悪くないなあと思ったりします。

今日は早く起きることができなくて、最初からすべて夜に書いていますが、眠くてだめですね。書くならできるだけ早い時間帯の方が集中できていいです。ということで今日も早めに切り上げて、また明日の午前中のうちに書いてみることにします。





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