「ロケットマン」人格形成に重要な親の愛
先日観た「ロケットマン」(2019)
早速のアマゾンプライム。「ボヘミアンラプソディー」が有料なのに、後から公開された「ロケットマン」が無料でアップされてるのはなんか複雑。
LGBT要素があったり、そもそもクイーンよりもエルトンが浸透してなかったりとか日本ならではの理由があるんですかね?
僕も大学時代はHMVと市立の図書館に通って、60〜00年までのロックバンドをひたすら聴き漁ってましたが、エルトンだけはなんか聴かず嫌いというか・・有名どころくらいしか聴かなかったなー
そんなエルトンの人生を描いた伝記的作品。
「生きる意味を教えてくれる愛」を探し続けた一生
浮気ばかりで子供に無関心な母親と、そんな母親の子供である息子に対して嫌悪を感じる父親。
ほぼネグレクトの中で育った幼少期。
音楽だけが父親と繋がれる一縷の可能性とピアノを学び、王立音楽学校に奨学生として選ばれても父親が振り向いてくれることはなかった。
「生きる意味を教えてくれる愛が欲しい」と苦しむ幼いレジー(エルトン)
「別人になりたい」(レジーではなくエルトン・ジョン)という彼の根源的な願いはこの時期に形成されたのでしょうね。
母親の恋人の影響でロックンロールに出会い、ソウルへ出会って男色に目覚める。
レジーであることを捨て、「エルトン・ジョン」となり、盟友バーニーと出会い、名曲「ユア・ソング」が生まれ、一躍スターに。
富と名声、どれだけ成功してもエルトンが求める「本当の愛」は得ることが出来ない。
満たされない毎日「慰め」を求めてドラッグとセックスに走る。
「エルトン」という別人になることを求めた結果、「本当の愛」を求め続けていたはずのレジーは、自分でも気づかないうちに、誰からも愛されない一人ぼっちの人生を送っていたのです。
子供を愛に飢えさすな。
そんな歪んだ人格形成があるからこそ、偉大なロックスターが生まれたのだからリスナーとしてはありがたいことではあるのですが、やはりレジー幼少期の両親の子育て方針には反吐が出ます。
「愛情」以前に「責任感」すら欠如している大人が子供を作る、それは子供が子供を作るようなものです。虐待したり放棄したり。ハラたちますよね。
タイムリーなニュースではネグレクト家庭に育った俳優が、自分も別居婚をしていて別の女優と交際をしていたとか。
正しい愛情を受けずに育った子供は、自分の子供に対しても同じような育て方をしてしまうという話はよく聞きますよね。
どこかで負の連鎖を断ち切る必要があります。
子供に罪はなく、罪があるとしたら、覚悟を持たずに子供を作ったお前らだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?