見出し画像

鹿野から学ぶ、障がい者と支援者の絆

先日見た映画、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』から気づいたことをメモ。

筋ジスで自分一人では生きていけないが、自らボランティアを集めて病院や施設ではなく自宅で自立生活を送るという鹿野靖明(大泉洋)とボランティア達を描いた作品。

障害福祉の世界にいる自分にとっては、若干「今更感」があるのですが、先日やっとこさ見ることが出来ました。

この映画は「障がい者」「支援者」「障がい者の親」それぞれにとって受け取るメッセージが違うと思う。


支援者と障がい者はあくまで対等な関係である。

支援者として感じたことは、支援者と障がい者の関係は対等であるということ。

コレは普段から支援をしていて常に頭にあることではありますが、この映画での描かれ方は若干行き過ぎなくらいなので、より一層伝わってきます。

鹿野は生活を助けてもらえ、ボランティアは鹿野から色んなことを学ぶ。

でも鹿野のワガママすぎる態度に接した時、初めて参加するボランティアにとって(もちろんこの映画を見始めたばかりの人にとっても)、どこが対等なのか疑問に感じると思います。実際「障がい者ってそんなにえらいの!?」と高畑充希演じる美咲ちゃんはめっちゃ怒ってましたね。

でも、次第に鹿野とボランティア達の深い絆が見えてくるにつれて、このワガママに対しても温かい気持ちになれると思うんです。

「俺がワガママに振る舞うのは、他人に迷惑かけたくないからって縮こまっている若者に、生きるってのは迷惑を掛け合うことなんだって伝えたいから」

「あの人のワガママは命がけなんです」

筋ジスという病気の特性上、いつ何時緊急入院して帰らぬ人に、という状態になってもおかしくありません。実際に鹿野は二十歳まで生きられないと言われていました。

なのでやりたいことは絶対に我慢しない。

アメリカ旅行をしてみたいし、英検2級に受かりたい、そしてこんな夜更けにもバナナが食べたい。

もちろん、それを全てのボランティアが即座に理解して支援ができるわけもなく、鹿野曰く、「沢山傷つけあったから」分かり合えたのでしょう。

「俺が人生を謳歌しちゃいけないのかよ!」

スクリーンショット 2020-05-18 13.42.31

コレは自由奔放な鹿野に愛想を尽かしたボランティアに対して激昂した鹿野が言い放った言葉。

人の助けがないと生活が出来ない障がい者にとって、「やってもらってる」「いつもすいません」みたいなマインドを押し付けてしまっていないかと考えさせられます。

人には出来ることと出来ないことがある、僕らが出来ることを鹿野は出来ないだけ。それを無駄にコンプレックスに感じてはいけない。

だって「人は出来ることより、出来ないことの方が多いんだぞ」と鹿野は言うのです。

出来ないことは素直に人に頼る。簡単なようで難しいこと。単純に人に助けを求めることってプライドが邪魔したりもするし、そもそも頼ってばかりのいい加減な人には誰も助け舟は出しません。なので難しい。

鹿野は自分を助けてくれるボランティア「鹿野ファミリー」を集めるために並々ならぬ努力をしたのでしょう。

だから鹿野は人生を謳歌してもいいのです。


理解しあった障がい者と支援者。美しい人と人との絆。

「生きているのが素晴らしすぎる」と人生を謳歌した鹿野からあなたは何を学びますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?