真の社会的自由とは

人間社会において、我々が自由についてよく考えないでその言葉だけを使用しているか考えさせられる。これについてはとりわけ日本人は真剣に考えるべきだ。それは近年、言論の自由と言い張って不毛なネットの論争からうかがい知ることができる。それを見る限り、表現の自由を標榜する輩もそれに対して反発するやからも全然、自由な精神に基づいて発言しているのではなく、単なるポジショントークだからだ。それら発言する人々は単に権力に媚びたり、自分の崇拝するものの意見を単純に受け入れただけで表面上でしか考えていなかったりするため、相手の意見をはなから除外して考えてじっている。

自由とは、秩序だった社会と相反するものであることが多い。今の日本の社会の風潮を見るとどちらかと言うと秩序を維持することに頑なな意見が、自分たち自身をがんじがらめにするような発言が繰り返されている気がする。それはマスメディアが率先して醸成しており、コロナ禍で、自粛ムードをつくり国民を思考停止させるのに拍車をかけている気がしてならない。そしてそれは権力者にとっては本当に都合がよい。

ジョンスチュアートミルはそう言った社会の本質を見抜き、現代の我々にとっては当たり前の自由について考え抜いたことは、現代にも通ずる警鐘を鳴らしている。経済的な自由ばかりが追求された結果、我々は権力者によってあらぬ不毛な対立を繰り返すはめに陥っている。

本来の自由とは何か考え、我々日本に住む多くの人間にとってよりよい政策が何か、マスメディアの報道に流されず個々が考えるようになって欲しい。


 

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