コロナに感染して


全国的に感染者が急増している。自分が感染したことを公開するかどうか悩んだが、おそらく私のような症状の方も多いだろうし、今後感染して軽症とはいえつらい思いをする方も多いと思い、少しでも参考にしていただこうと、noteで詳細を掲載することとした。

発熱当日

それはアメリカ大統領選挙の開票日に始まった。11月3日(火)は、自宅に演奏家ライバーが二人来て、私もピアノを弾いて17コラボ配信をした。1人は予定があって先に帰ったが、その後別のもう1名と合流して焼き肉を食べに行った。その頃から少し熱っぽくて、それでも牛タンや横隔膜付近の肉を美味しくいただき、まっこりもたくさん飲んだ。早めに切り上げて自宅て熱を測ったら、38度あった。これは風邪かインフルかと思って、ロキソニンを飲んで寝て朝起きたら平熱に戻っていたので、なんだ一時的に発熱したのかなと思った(後述するがこのロキソニンが正解だったのかはわからない)。

通院から陽性確定まで

私はもともと咳喘息というかアレルギー性気管支喘息というか、30年くらい前から咳が結構長く続く持病があって、この間、どれだけたくさんの病院に行って検査したり薬をもらったりしたか分からないけれど、季節の変わり目や風邪の治りかけに咳が出だすと、長いと3カ月くらい止まらないことが毎年のようにあった。そのたびに様々な薬をもらうので、よほどひどい時でない限り、夜眠れないというようなことはそれほど多くはなかった。

発熱の前日の11月2日に、朝少し喉も痛く、いつも飲んでいる薬もなくなったので、かかりつけの内科に行って薬をいただいた。しかし翌日発熱したので、もうほとんど熱はなかったけれど、翌々日の11月4日に再度その内科に行った。インフルエンザも心配だったし咳も出ていたので、病状を説明したところ、一時的な風邪だろうとのことで、葛根湯と喉の炎症を抑える薬を追加でもらった。その後微熱は続いていたので、少しコロナも心配になって、検査を受けようと思い、以前通ったことのある呼吸器内科クリニックがPCR検査もやっていることが分かったので、ネットで11月6日(金)朝一番の予約をした。

予約をした翌日5日の朝一番にそのクリニックから電話があり、「発熱があるなら今すぐにでも診察が可能だ」と言われたので、すぐに行った。発熱がある患者は待合室も診察室も分かれていて、いきなり診察室で待つことになった。病状を説明して、インフルエンザの検査もして欲しいと言ったら、「今年は全く流行っていないので大丈夫とは思いますが、検査しますか?」と聞かれてお願いした。また胸のレントゲン写真も撮るか聞かれたので、お願いした。しばらくして両方の結果が出て、インフルエンザでもないし肺も全く問題ないとのことでほっとした。その後唾液を1ccくらい容器に入れてPCR検査が行われた。結果は翌々日の7日(土)の朝一番で聞きに来てくれとのことだったけれど、「もし陽性の場合は、その前に電話をする。そしてその場合は7日の診察はなしだ」と言われた。

6日(金)はもちろん外出もせず、解熱剤(*この解熱剤はクリニックで2日分処方されたカロナール)を飲みながら安静にしていたわけだが、18:38にクリニックから着信!見た瞬間に凍り付いた。そして看護師さんから、「結果が陽性でしたと」告げられた。元々咳喘息もあったし、これはまずいなと思ったけれど、レントゲン結果も問題なかったし、その時は咳もそれほど出ていなかったし、味覚も臭覚も正常だと思っていたから、重症ではないだろうとは思っていた。「明日保健所から電話が来ますので、今後は保健所のかたの指示に従ってください」と言われた。

感染経路に関する保険所とのやりとり

7日(土)9:41に保健所のかたから電話があった。後でわかったのだが、対応してくださったのは、渋谷区恵比寿保険相談所の保健師のT田さんだった。まずは陽性だということで、体調を聞かれたあと、発熱した日の10日前からの行動を一つひとつ詳細に聞かれた。以下は報告した内容。

10月23日は歯医者に行ったのだけれど、その歯医者のスタッフさんはマスクをしてたかとか、フェイスガードをしていたかとか、感染予防はどんなことをしていたかと聞かれた。歯医者さんがマスクや手袋をしていないわけはないし、看護師さんや会計事務のかたがマスクとフェイスガードを両方していたかなど覚えていないし、普通にアルコール消毒はしたと思うと答えた。

10月24日(土)から私は札幌にゴルフをしに行っていた。いつもタイや札幌で一緒にゴルフをする仲間と行ったのだが、朝はバスタまで歩き、バスタからリムジンバスで羽田に向かい、JALで新千歳空港に、新千歳からはJRで札幌に行き、ホテルにチェックインした。ホテルで友達と落ち合い、夜は別件のあった友人一人除く3人ですすきのでお寿司を食べ、その後ホテルに戻って、ホテルのバーで全員集まり4人で飲んだ。

10月25日(日)は4人でホテルからタクシーでゴルフ場に行き、終わってから一旦札幌のホテルに戻り、すすきので食事をしてからホテルに戻った。

翌日の26日(月)も同じゴルフ場に行き、4人でゴルフをして、その日は終わってそのまま千歳空港に向かい、千歳空港で一杯飲んでマッサージを受けてから羽田空港に戻った。羽田空港からはリムジンバスでバスタまで行き、そこから歩いて自宅まで帰った。

10月27日は久しぶりのリアルで人が集まる顧問先の企業研修があった。午前中の研修のあと、ランチをみなで食べて解散した。夜は別のピアニストの友人と六本木の居酒屋で軽く飲んだ。換気は行き届いていたが、ほとんどの席の人が今時火をつける煙草を吸っていてかなり驚いた。

10月28日は特に予定がなかったので自宅でぼんやりと過ごしていて、どこにも出かけなかった。

29日は午後ゴルフのレッスンを受けに行った。夜は会食があり銀座で豚しゃぶを食べて、そのあとは生演奏が聴けるお店に行って演奏を聴いて、翌日がゴルフだったので早めに帰った。

10月30日は家族とゴルフ友達とで成田方面にゴルフに行った。夜は自宅で過ごした。

10月31日はゴルフのレッスンに行きその後は自宅にいた。

そのまま11月1日以降の続きを話そうとしたら、「ここまででヒアリングは一旦中断しますが、感染経路は分からないですね?」と聞かれたので「はい」と答え、発熱3日前までの行動ヒアリングは、感染経路の調査だということがわかった。

最近は潜伏期間が14日よりも短いとされているようで、だいたい感染後5~6日後の発症が多いらしい。まあ、確率論なので、長い人は長いのだろうけれど、札幌でどんなお店でどのように食事したかとかは細かく聞かれなかった。ちょうとその頃に札幌でクラスターが再発生して騒がれていたので、もう少し聞かれてもおかしくはないのになあと思った。感染経路を聞く中で、おそらく私の行動履歴の中にはなんらかのクラスターに関係してそうなものがなかったのだろう。強いて言えば歯医者さんくらいか。

濃厚接触者に関する聞き取り

そして、「ここからは実際に接触したかたのお名前や個人情報もお聞きします」とのことで、今度は私が誰かに感染させたかもしれないという疑いについてのヒアリングになることがわかった。最も感染力が強いのは発症2日前からとのこと。

発熱する2日前の11月1日(日)は仕事関係の社長と昼からランチミーティングをして、そのまま夜まで一緒に飲んでいた。もちろん食事の間はマスクもしていないし、間違いなく濃厚接触者になるだろうことは容易に想像できた。

11月2日(月)は前述の通り午前中にかかりつけの内科に薬をもらいに行った。「このお医者さんはどんな感染対策をしてたか」などとかなり細かく聞かれた。発熱者とそうでない患者さんは待合室を分けていて、先生は手袋とマスクをしていた。フェイスガードもしていたように思うけれど、記憶は定かでない。歯医者の件もそうだが、どうも院内感染に関して保健所はセンシティブになっているなと思った。午後ゴルフレッスンに行ったが、このレッスンについては、先生はマスクを常にしていたかとか、どの程度の距離でどの位置で指導をしたかなど、結構細かく聞かれた。夜は会食があり西麻布でイタリアンを食べた。ここももちろん当たり前の感染対策はしていたが、会食の相手とはマスクなして食事をして大声でないにしても会話を楽しんだので、濃厚接触者になると思った。

そして発熱した11月3日(火)は配信後に焼き肉に行った日だ。ここで接触した3名も間違いなく濃厚接触者だろうと思ったが、このヒアリングの後、保健所からは医師と相談して誰を濃厚接触者に認定するのか決めると言われた。認定された方々からは住所、氏名、電話番号、生年月日を聞いて保健所に報告し、保健所から当日中に電話をすると伝えるように言われた。この最初のヒアリングの所要時間は53分間であった。

その日の13時29分に再度保健師の先生から電話があり、5人が濃厚接触者にう認定されたと聞かされた。ゴルフの先生も候補だったらしいが、今回は対象外になったと言われた。電話で個人情報を伝えるのは大変なので、メールで送りたいと言い、その後は分かった順にメールでお知らせした。返信がなかなか来ない人もあり、何回か催促の電話があったので、保健所としては感染拡大の可能性を考えて、かなり焦っていたのだと思う。

5人の方々については、管轄の保健所から電話が行くとのことだった。生演奏が聴ける銀座のお店についてもお店の名前と場所、社長の連絡先などを聞かれた。これはクラスターの可能性を考えてのことだろうが、あとで聞いたら銀座管轄の保健所のかたが、「山川さんは何を演奏されるのですか?」と聞いて来たらしく、情報がかなり曲がった伝言ゲームのように伝わっていたようだ。もちろんピアノは弾くけれど、そういうお店で演奏している訳ではないので。

この5人の方々以外も、北海道に行ったゴルフ仲間やここ2週間くらいに会った近しい皆さんには、状況を報告した。幸いにも体調を壊している人はなく、私と同時に感染した人はいなさそうだったが、一応多くのかたがPCR検査を受け、幸いにも全員が陰性だったので、胸をなでおろした。

自宅隔離療養

さて、その後の保健所とのやりとりだが、そこまで高熱ではないにしても熱が下がらず、通常は5日くらいで下がるはずだと言われ、7日(土)に経過がよくないとのことで強く入院を勧められた。「過去入院したことのある病院はあるか?」と言うので、内科的な入院は良性の大腸ポリープを切除した時に、歩いて3分しか離れていないJR病院に入院したことがあるという話をした。入院をすると何らかの治療や投薬などはあるのか聞いたところ、「何もない」と言う。私としては何もしてくれないなら、入院の準備や手続きや行き来を考えただけでも、絶対に入院などしたくなく、あのテレビでやっているような、いかにも食欲がゼロかマイナスになるような食事は、そもそも食欲がないのにとんでもないと思った。また為替トレードをしている関係で24時間ネット環境が整っていないと仕事にならないと言った(実際はそんなことはないのだが)。防護服を来た職員が玄関までお迎えに来られても困ると思ったし、そもそもどうやって病院まで行くのか謎であった。都の車がお迎えに来るという話も聞いたが実際は確認していない。

保険所としては、高齢者が自宅隔離中に亡くなる案件が増えてきていて、私のように咳喘息という基礎疾患がある一人暮らし老人?はかなり危険だと思ったのだろう。なので、「はたから見ると孤独な老人に見えるかもしれないが、家族も信頼できる仲間もすぐ近くにいるので、何の心配もないし、入院などしたら返ってQOLが悪化してしまう」と言った。それでもさらに入院を勧められたら、「毎日ピアノを弾くことが生きがいで、それを奪われるくらいなら死んだほうがましだ」と言おうかと思っていたが、それは言わずにすんだ。実際は発熱してから一回も鍵盤には触れていなかった。そういうモチベーションなど全くなくなっていたのが実際のところだった。ずっと寝ているとトイレに行くとき以外は起きたくないし、朝カーテンを開ける元気もなく、もちろん家事をしようとは全く思わなかった。

入院に関しては「ではもう一日様子を見ましょうと」言われた。通常は10日間で高熱が出なくなり、その後3日間の観察期間を経て、通常生活に戻れるとのことだった。高熱が出なくなるの定義は、解熱剤を飲まなくても37.5度を上回らないというものらしい。4日以降、夕方になると、かあっと熱くなり、解熱剤を飲まないとだるいし頭痛もあったりで辛いので、3時間置きに熱を測って少し上がってきたらすぐ薬を飲むようにした。クリニックでは2日分の解熱剤(*カロナール)しか出してくれず、追加の解熱剤が欲しいと保健所にお願いしたが、「それは入院しないと出せない」と言われた。つまり感染者は普通の病院や病棟には入れないから、薬だけ出すこともできないということなのだろうか。

春にコロナが流行り始めた頃、ロキソニンやイブは飲んではいけないという噂があった。薬の専門家ではないので正確かどうかは分からないが、「ロキソプロフェン」という成分を含む市販薬の「ロキソニンS」「コルゲンコーワ鎮痛解熱LXα」「バファリンEX」や、「イブプロフェン」という成分を含む「イブA錠」「エルペインコーワ」「リングルアイビー α200」などを飲んだ人はコロナが悪化するというニュースがあり、その後WHOが根拠はないと撤回したという話だったような気がする。

当時、知り合いの医者に「結局もし熱が出た場合、コロナか、インフルエンザか、ふつうの風邪かわからないので、もし解熱剤を飲むならアセトアミノフェン系を飲んだ方が無難だというのは本当か?」と聞いたら、「そういうことだ」と言われたので、一応アセトアミノフェンを主成分とする*エキセドリンA錠という解熱剤一箱購入して救急箱に入れておいた。

そのエキセドリンA錠を2錠飲んだが、私にはものすごく効いた。飲んですぐ発熱感がなくなり、気分が楽になった。もう飲まなくても発熱しなくなるのではないかと思って毎日過ごしていたが、やはり夕方や朝方に38度近くまで上がってしまい、薬をやめられなかった。もちろん熱があるので倦怠感があり、食欲は全くないし、飲みたいのはグレープフルーツジュースだけ。最もつらいのは、治療薬がないということで、いったいいつになったら熱が治まるのか、完治するのかが全くわからないということだった。人間、先が見えればいろいろな困難にも耐えられるが「降りやまぬ雨はない」「明けない夜はないと」思いつつも、いつまで続くのかが分からないというのは、本当に精神的にはかなり安定しているしタフだと思っている私でさえ心が折れそうになった。

入院については、薬を飲めば37.5度は超えないし、そもそも体調報告は自己申告なので、問題ないと言っておけば、強く入院は勧めてこないことがわかった。

保健所からは毎日朝9時過ぎに電話がかかってきた。当初は比較的細かく熱は何度かとか聞かれていたが、担当が変わったせいか回復してきたと思われたせいか、「調子はどうですか?」「大丈夫です問題ありません」と言うと、「ではまた明日電話します」。と10秒くらいで終わるようにうなった。

いずれにしても薬を飲まずに37.5を超えなくなってから3日間で、通常生活に戻れると分かったので、何とか毎日熱が上がらないことを期待して、グレープフルーツジュースや差入れしてもらったおかずなどを少々食べて、ほぼ一日寝ながら好きな仲間由紀恵や深田恭子のドラマや米国ドラマ24を見直したり、YouTubeでゴルフ番組を見たり、あとはずっとクラシックやユーミンや松田聖子などをかけて早く時間が過ぎないかと思って過ごした。時間の早送りボタンやスキップボタンがあったら確実に押しているなと思った。

11月8日(日)から3時間置きに熱を測り、いつエキセドリンA錠を飲んだかもメモした。8日は昼が36度だったのに熱っぽくなり15時に36.9度になったので薬を飲んだ。翌日の朝から37度を少し超えていたが我慢したけれど、15時に37.3度になったのでまた2錠、すぐ下がるも夜遅くにまた37度を超えたので2錠。通常の風邪などで37度出たのとはちょっと違う感じで、恐怖感もあるからか結構37度を超えるとつらかった。

11月10日(火)の夕方には、37.7度まで上がり、薬を飲んで寝るも、翌日11日の朝計ったらまた37.7度。ここでまた薬を飲んで眠った。夕方18時に一度下がった熱がまた37.3度になり薬を飲んだ。今日こそ薬を飲まずに平熱に戻らないかと、祈る思いだったが、何回もそれは裏切られた。

11月12日(木)の朝、37.1度だったが、薬は飲まずに頑張った。発熱して9日目だ。10日間で発熱は治まることが多いと言われていたので、そろそろ治ってもいいのではないかと思っていた。

11月13日(金)、保健所には調子はいいと元気に答えていたので(薬を飲まなくても問題ないレベルという意味で)、朝電話が来て、今日で観察期間は終了しますので、明日から通常に戻って大丈夫です。これが最後の電話ですと言われた。昼に体温を計ったら36.5度。結局48時間薬なしで平熱を維持したので、かなり改善しているとは思ったものの、まだいつ熱が出るか心配だったし、食欲も全く戻っておらず、何よりも大好きなお酒を一滴たりとも飲みたいとは思わない状態だった。

この頃から全国的に感染者が増大し、保健所のかたもさぞ忙しくなっておられただろうと推察した。私は医療関係者にはほとんどお世話にならなかったが、保健所の先生には本当にお世話になった。陽性と宣告されたら、中にはパニックになる人や、時系列できちんと自分の行動を説明できないかたもいるだろう。そんな中で優しく丁寧に接してくださった保健師の先生には心から感謝の気持ちを伝えたい。

治ったと確信した瞬間

味覚臭覚異常がある場合が多いと聞いていたので、自分がそうなのかを何回も確認した。味噌汁はただ辛いだけにしか感じないとか、香水の香りもしないという話を聞いているので、眼をつぶってグレープフルーツジュースや白桃ジュースを飲んでみると、確かにその味はする。香水をかいでみても香水の臭いはする。味覚臭覚の異常はないのかなあと思っていた。そもそも風邪で熱があったり鼻づまりがあれば、味覚臭覚は多少は弱くなると思うので、特にコロナ特有の症状ではないと思っていた。

11月13日の午後トイレに行ったら、今まで全く感じなかった芳香剤のいい香りがした。あれ?これってひょっとした今まで臭覚が異常だったのかもしれないと思ったのと同時に、すべての霧が晴れて、完治したのではないかと確信した瞬間であった。窓の外の光がこころなしか明るく感じた。保健所の10日間でよくなるというのはまさにぴったり合っていて、これで何とか危機は脱したかなと思った。ただ、後遺症があるとか抗体はすぐ消えるとか変異してまたかかるとか、いろいろな話があるので、安心はできないなと思っている。

保険所から14日から通常通りでよいと言われたので、15日に元々エントリーしていたゴルフの月例大会に出ようかと思えるほと元気になったと思った。しかし前日の14日に久々に外に出て買い物に行ったりしたが、少し歩くと息切れするし、これがゴルフどころの騒ぎでないと思いキャンセルした。熱が出なくなったので倦怠感もなくなっていたが、すぐ疲れるし食欲もほとんど回復しないので、まだまだだなと思った。

その後の食事など

とにかく一人で食事をしても全く美味しいと思わないし、そろそろ意を決して外に出ようと思い、16日(月)車ででかけることにし、発症以来初めて銀座近くのデニーズに行ってみた。ファミレスなら何か食べたいものもあるかなと思い、オニオンスープとフェアをやっていたゴディバのミニパフェを頼んでみた。オニオンスープはもともと美味しいのか分からないが全くダメで、パフェもやたらとチョコレートが苦く感じられてダメだった。隣の席のお兄さんが、担々麺を食べてるのを見て、これならいけるかと思った。

17日(火)は久々のゴルフ練習で疲れて昼寝をしてしまったが、とりあえず担々麺を食べようと自宅近くのデニーズに行ったら、なんと閉店してた。その気になっていたので、駅前の中華で担々麺を頼んで、お酒も飲んでみようかなと紹興酒を1杯飲んだ。お酒は全然美味しく飲めなかったけれど、担々麺はそこそこ食べられた。

18日(水)は結構前に取っていたオペラ座の怪人を観に行った。リニューアルした浜松町の四季劇場だったが、中身はあまり変わり映えしない感じで、商業施設の中にあるので、逆にちょっと違和感があった。四季劇場は遠くからどーーんと劇場が見えるのがよかったと思った。観劇のあとはまっすぐ帰宅して、自宅で何か残り物を食べたのだと思うけれど記憶にない。

19日(木)は久々にゴルフに行った。まだまだ体力が戻ってないので、ちょっと歩くとハアハアするし、もちろんゴルフの調子もよくはなかったが、親しい仲間で食事というのは焼き肉の3日以来だったせいかとても嬉しくて、石焼ビビンバを美味しくいただいた。帰路は結構渋滞していて、久々の運転で大変だっけれど、眠眠打破やコーヒーなどを飲んで、何とか自宅に帰り着き、疲れて死んだように眠った。

20日(金)はゴルフレッスン。これも結構疲れてもどってバタンキュー。

21日(土)は第90回の新人演奏会を聴きに上野の文化会館まで行った。夜は久々に自宅近くの居酒屋に付き合ってくれる人がいて、お刺身とかほっけとかつまみっぽいものを食べて、お酒もそこそこ飲んだ。食欲は出て来ているものの、まだお酒はそう入ってこないし、100%復活とは行かない感じである。

22日(日)は寿司職人を呼んでのホームパーティーを企画してくれた経営者仲間がいて、大好きなお寿司が美味しくいただけ、日本酒も結構飲んだ。グランドピアノがあるお宅なので久々にショパンのノクターン「遺作」を弾いたが、久しぶりにしてはまあまあ指が回った。

保健所からの就業制限通知

ここに来て感染者が全国的に拡大している。コロナというものは、いつ誰がどこで感染したかもよく分からず、そしていつ誰が誰に感染させたのかさせてないのかもよく分からない。そして感染した人は、濃厚接触者と認定された人に行動制限させてしまうことになり、多大な迷惑をかけることになってしまう。行動制限というのは、保健所から電話がかかってきて、2週間不要不急の外出は控えて欲しいと言われるそうだが、これはお願いベースであって緊急事態宣言が出ていた時とほぼ同じイメージで、通常の仕事や買い物は問題ないように思った。というのも、自分自身はどんな制限がかかっていたのかが文書で届いていたからだ。

渋谷区保健所から「感染症法に基づく就業制限について」という通知が発熱した翌日の11月4日の日付で郵送されてきた。「就業の制限は、ご退院後または自宅・宿泊療養経過観察終了後に解除になります。」と記されている。私の場合は自宅療養経過観察終了後ということで、14日(土)に解除になったことになる。

しかし、この終了かどうかは、本人が「大丈夫です」と保健所の担当に電話で話したことのみが根拠となっており、何のエビデンスもない。もし具合が悪く発熱が続いていたとしても、本人が元気だと言えば解除されてしまうわけだ。

保健所の担当に、完治した解除になった証明は出せないのか聞いたが、そういうものはないと言われた。でも会社や仕事先からそういう書類を求められたらどうするのか聞いても明確な返事はもらえなかった。(**その後生命保険会社への提出が必要だとお願いしたところ、自宅療養証明書という発症日とPCR検査日と自宅療養期間が明記された書類を送っていただけた。これで自宅療養が終わったという証明にはなるようだ。)

確かに再度PCR検査をして陰性、抗体検査をして抗体ができたことを示せばいいのかもしれないが、そもそも再度陽性になる可能性や抗体が消える可能性もあるので、保健所としてこの人はもう大丈夫だという書類は出せないのだろう。

そして就業制限とはどんな内容なのかを記しておきたい。

【就業制限】
(1)就業が制限される業務
接客業その他多数の者に接触する業務
(2)就業が制限される期間
病原体を保有しなくなるまでの期間またはその症状が消滅するまでの期間

これで行くと、普通の事務は発症していても就業してよいことになると思う。PCR陰性で発症もしていない濃厚接触者には不要不急の外出を2週間しないで欲しいという要請をするのに、当の本人はこんな感じなんですね。

そしてこれは「処分」らしい。通知とあるけれど、この処分に不服がある場合は審査請求できるとか、処分の取り消しを提起することができると書いてあります。へえ、処分されたんだと思った次第。

GOTOトラベルとコロナの関係

ようやく見直しの話が政府から出たが、政府はGOTOトラベルによってコロナが増えたという明確なエビデンスがないから、中止はしないというようなことを言っていた。これは、どう考えてもエビデンスを意図的に作っていないだけにしか思えない。

というのは保健所のヒアリングで、私が北海道に行った時にGOTOトラベルを使ったかという質問はされなかった(もちろん使ったのだが)。陽性者全員にアンケートを取るいわゆる全数検査がなされているのだから、GOTOトラベルと陽性者の関係性などは、最も精度よく測定できるはずだ。これを敢えてやらないのは忖度なのか不都合な真実を明らかにできないからなのか。。。。なんかもやもや感が拭えない

‎最低な「COCOA - 新型コロナウイルス接触確認アプリ」

さて、このアプリはどう活用されるのだろうか。もちろんアプリは入れているので、保健所にどのように登録すればいいのかを聞いた。まあ、縦割110番ではないけれど、管轄が違うのでわからない。本人に個別に連絡がくるはずだと言われた。

実際に届いた文章がこれ。

「こちらはHER-SYS(厚生労働省 新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)です。接触確認アプリに入力いただく処理番号をご連絡します。

処理番号: 4349****

処理番号の有効期限は発行から1時間です。有効期限が切れた場合は保健所にご相談ください。
処理番号が有効期限内にもかかわらずアプリに登録できない場合は0120-251-871(受付:毎日9:00-17:00)にご相談ください。」

処理番号を登録してみたが、何やら英語でアラートのようなものが出てきて、とりあえず登録できたと思うのだが、その後何の変化も起きず、近しい人に何らかの通知が来たか聞いたけれど、誰一人来ていないという。そもそも突然勝手に送り付けられて来た処理番号を1時間以内に登録しろというのはあり得ない。体調も悪く解熱剤を飲んでもんもんとしているのに、よくそんなことが言えるよなと思う。

ということで私は1時間以内に登録したと思っているが、わざわざこちらから保健所に登録確認するモチベーションもなく、濃厚接触者に行動制限の連絡など行くようなことがあれば、大迷惑だから無視している。かなりの予算をつけて作ったCOCOAなのだろうが、お粗末過ぎて呆れてものも言えない。厚生労働省はもっとまともな仕事をしろ!

終わりに

私は抗体検査キットをAmazonで購入したので、通常生活を許可された日に検査をした。「すでに治療、免疫状態、抗体あり」ということで、明確に陽性結果が出た。決して安心はできないが、抗体ができてよかったと正直に思った。この抗体をコロナ治療や研究に役立てていただけるのなら、喜んで協力したいと思っている。

コロナとの闘いはまだ完全に終わってはいないが、心配をしてくださった友人知人家族には心から感謝する。会うことはできないので玄関に差入れを置いて行ってくれたり、足りないものがあれがすぐに届けるよと言ってくれた人が何人もいる。一番初めに来てくれたのは親しい管楽器の演奏家だが、大好きなタカノのケーキやゼリーを玄関に置いて行ってくれた。電話ももらい5メートルくらい離れて一瞬顔を見たけれど嬉しかった。もちろん経営者の仲間や家族も何回か来てくれたし、手作りのおかずや果物なども届けてくれた。

一方、真逆なこともある。病気をして初めてわかる人間性もあり、今の自分の事だけではなく、過去の様々な経緯を鑑み、人の愛っていったい何なんだろうと考えさせられた。震災やコロナをきっかけに人間関係が終わるという話をよく聞くが、確かにそういうことはあるんだなと思った。実際に震災で相手の本性が見えて離婚した知人もいた。

いずれにしても一刻も早くワクチンの効果が確認でき、特効薬ができることを期待する。コロナは感染してもさせてもいけないわけだから、必要以上にナーバスになることもないが、注意できるところはきちんと注意すべきだろう。私のようにこんな軽症でも自分はもう二度となりたくないし、誰にもなって欲しくない。

*)名称に誤り、混乱があったので修正
**)その後に対応していただけだので追記

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