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お母ちゃんとの別れ


 お母ちゃんとの別れ…


約六十年前…
忘れもしない初夏の蝉が鳴く暑い日に、私はお母ちゃんに手を引かれ、熊本県人吉市から兵庫県姫路市にあった児童施設の前に連れてこられた。
私の記憶は薄いが、この施設の柵を見た私は、お母ちゃんが私をここに遊びに連れて来てくれたんだと思った。
気の弱かった私はお母ちゃんの手をギュッと力強く握りしめた。
お母ちゃんの手の平は汗だくでぬれていた。
お母ちゃんは施設から出てきた女の人と何らかの会話をした後に私に向かって一言
必ず迎えにくるから少しの間ここで待っときなさい
と言ってこの場から逃げる様に立ち去って行った。
お母ちゃんの後ろ姿を見つめながら私は何故か涙を流していた。
幼い私はこの目の前の柵の向こう側が公園だと思っていたが、実は柵の向こう側は施設であった。



この日以後、お母ちゃんは二度と私の前に現れる事はなかった。


お母ちゃんが私の目の前から姿を消した後、私は一か月あまり毎日の様に泣いていた記憶がある…

半年が過ぎ、ようやく施設の生活に慣れた私は、いつしか園長先生の事をお母さんと呼ぶ様になっていたが、お母さんは決して甘い人ではなかった。
施設には約十人ほどの子供がいていた。
輪の中に溶け込むことが出来なかった私は一人孤立していた。
同じ施設の子供にすら心を許す事はなく、迎えに来るはずのないお母ちゃんをずっと待ち続けた…
五年の月日が流れ、小学校に入学した私は、施設の中ではガキ大将になり、周りの子供達をいじめるようになった。

この様な悪ガキに変わり果てた私の姿を見たお母さんは、私にむかって、
Gちゃんなんで貴方は弱い者イジメをするんだ。ここで生活をしている子供達は、全く貴方と同じ思いをしながら母親の迎えを今か今かと待ってるんだよ。辛いのは貴方だけではない。皆んな辛い思いをしてるんだ。
とお母さんは私に言った。
だが私のイジメはエスカレートしていき、いつしか周りの子達に手をかける様にまでになっていった。
これには流石のお母さんも見過ごす事はなく、私の頬を平手で叩いた。
己のお母ちゃんにすら叩かれた事のなかった私は、この時初めてガキながらにも憎しみを感じた。

私は施設の中ではガキ大将であったが小学校ではいじめられっ子。今考えればこの頃は捻くれたガキであった。

ある日の朝、登校途中に私は、ダンボールの中に入れられた一匹の子猫ちゃんを見つけた。
これが私と猫ちゃんの出会いであった

#創作大賞2024

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