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第一弾二代目宅見組のお話!五代目多三郎一家!!

まず初めに宅見組と言えば、やはり初代宅見組率いる宅見親分の時代は世間でも名が通っており、又お金持ちの組織と言う様な印象が非常に強かった。

だが…
二代目宅見組に代が代わり正直宅見の名は知名度が落ちた。これ以外にも二代目を継いだ入江の盃は飲めんと言い出した初代宅見組の数人の直参達は、堅気になる者もいていれば本家プラチナに昇格する親分もいていた。

そしてこの様な伝統のあった組織、あの宅見組がなんと今や数十人の小規模組織に変わり果てた!
ようはいつ消滅してもおかしくない状況に迄追い込まれた宅見組は、もう既に一寸先は闇と言われる崖っぷちを歩いているのであります。

二代目宅見組を継いだ入江と言う漢は、過去に大阪戦争や山一抗争では数々の功績を残した漢でもあり、又初代宅見組時代は若頭や本部長の三役を務めた。

この後、宅見親分が中野会の者に暗殺された後に入江氏は二代目宅見組の代を取り、五代目山口組では若頭補佐六代目体制では総本部長を務めた後に舎弟頭のポストを務めた。

この様な流れを見返すと入江氏は、渡世の世界ではエリート中のエリートと思われるが…

実はお金の面ではかなり汚い面を持っていたと言う様な噂があったのであります。


確かに入江氏は、頭の切れる人物と言われ堅気の社長連中とのパイプも太かった。


だがこの社長連中のパイプのほとんどは先代の宅見親分が築き上げた人脈をそのまま引き継いだ。

要は棚からぼたもちと言われる人脈であった。


この様な理由から若い衆からは、人気のない親分でもあったのであります。

前にもお話した様に入江氏は、昔から高山親分や極心の橋本氏とは、五分の契りを交わした三兄弟とも言われていた為、五代目山口組当時は弘道会、宅見組、極心連合は手を繋ぐ組織と言う者も実際に居ていた!


この続きは、信州後藤一家ちゃんねるでご視聴宜しくお願いします。
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https://youtube.com/@motoyakuzaG


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