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やりがいを見つける練習 探究のメモ(2)

人間は目的のないところにモチベーションを持たない。好奇心、意味合いがあれば取り組むだろう。個別性が高いという問題はあるが、なにしろ、そこには当事者性の芽生えるからだ。こうした好奇心や意味合いの先には「やりがい」がある。

「やりがい」のあることには没入できる。時間を忘れて取り組むことができる。

「やりがい」の素は「好きになること」ではないだろうか。

好きになることは勉強に限る必要はない。

最近「好きなことがない」という生徒を散見する。

これは「好きなこと」のハードルを周囲が上げているからではないかと思うところがある。「自分の好きを職業にしよう」はまさにそれではないだろうか。好きなこと、好奇心を抱くことはもっと気楽な方がいい。ハードルを上げて「やりがい」のタネや素への感度を下げてしまうのはあまりにも勿体ない。

そして「探究は高度だから普通の生徒には要らない」という教員が少なくない。むしろ、勉強が苦手な生徒にこそ必要なのだ。これでAI(人工知能)が進歩したときにBI(ベーシックインカム)が導入されるようになると「なぜ生きているのか」が大きな課題としてクローズアップされる。そのときに「やりがい」を見つける練習をしておけば生きがいにつながる。どんな小さなことでも「やりがい」を見出していくことは、これから生きていく上でとても大事になってくる。社会で多くのことが自動化してしまう前に「やりがい」の見つけ方を練習しておくべきなのだ。

ここまで多くの項目を教える側の視点で述べてきたが、この「やりがい」については学習者の視点で考えてみるとどうなるだろうか。生徒の「やりがい」と授業が合致することは最もワクワクして面白がって取り組むことではないだろうか。

さて、「やりがい」を総合的な探究な時間で育むことはできるだろうか。

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