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マスコミの劣化に思う
マスコミの劣化が激しいというか最近のマスコミはどうなの?と思うことがあるのだが、それを突き詰めていくといろいろなことに思い至る。実はいまも僕が書いた記事に編集部が適当なタイトル、内容やこちらの意図とは明らかに異なるものをつけたので、クレームをつけているところだ。
インターネットによる情報が氾濫しなかった時代は情報提供者や取材先がしっかりとしていたのではないか。つまりマスコミが劣化する前に、情報提供者や取材先が劣化しているのではないか。
それは十分に考えうる。大学関係を見てもひどいからなぁ。
某予備校の入試状況に関する記事なんて、毎年ベースをいじらないで増減の数値を毎年入れ替えている程度。あれはひどすぎる。手抜きもいいところだ。
マスコミは情報の海の中からまともな情報を見つけきれないでいるから情報が陳腐化する。
新聞も雑誌も売れないから迎合する。これは明らかな悪循環。
いま出ている東洋経済の大学特集なんてまさにそれである。
そして、合理化という名のコストカット。人員も減るから記事が劣化するのも当たり前。コストカットで接待費が出ないからレアな情報を取れない。
最近はキュレーションメディアが注目されているが、そもそも安定した記事は旧メディアが提供している。その旧メディアが劣化したらキュレーションなんてできないだろう。
ふわふわした思い込みや思いつきの思考もエビデンスも乏しい記事ばかりになる。
つまり何が言いたいかといえば、マスコミを我々が育てる、パトロンになる姿勢が必要だということである。
もっとしっかりとした情報を求めるのであれば、雑誌や新聞に僕らはお金を払わないといけないのかもしれない。
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