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黒崎コユキと「鍵と仕切り」の心理

※本記事は「船上のバニーチェイサー」を履修していない一個人が執筆しています。復刻が来たら手のひらを返す可能性があります。

 黒崎コユキといえば倫理観の欠如したカス、反省という言葉を知らないクソガキというのがコユキ実装までの共通認識だったが、いざ実装されてみると、守護らなければならない生徒の一人だというのがわかってきた。

「なにかお役に立ちたいです~」
「もしかして……じっとしているほうが役に立ったり?」

 黒崎コユキをホーム画面に迎えて最初のセリフがこれである。人が嫌がるのを楽しむようなクソガキであれば到底言わない殊勝なセリフに驚かされた。漠然と役に立ちたいという意思があって、それどころか、自分が迷惑になってしまっていないか気にしている。なんて健気なんだ。

 黒崎コユキは実際には大変人の役に立っているということには注意しなければならない。黒崎コユキは暗号解読について天才的な感覚をもっている。セミナーではコユキの能力を活かした、例えば誤作動を起こしたセキュリティ装置の解除みたいな仕事を頼まれている描写がある。それが、どういうわけか、妙に自己肯定感が低い。

「大したことでもないのにいちいち連絡してると、いつか相手にされなくなっちゃうんじゃないかと思って……。」

「四葉のクローバーを探していたといいますか……。」
「にはは……今どき流行らないですよね……。」

 純真無垢というわけでもなく、冷めているというか、一歩引いてしまうような部分がある。反省部屋にブチ込まれている時間が長く、交友関係の程は不明だが、遊び相手を求めているのは確かだ。反省部屋にボードゲームを持ち込んでいるくらいなのだから。

 倫理観の欠如といわれる所以のサイバー犯罪も、趣味が高じてやりすぎた、という訳ではなさそうだと分かってくる。

「計算……ですか?」
「楽勝ですよ! 好きじゃないだけで」

 ヴェリタスのクソガキどもとは全く違うメンタリティだ。ヴェリタスのクソガキどもはハッキングが楽しくてハッキングしている節があり、これが転じてユウカ100kg事件を起こしているし、仕事を頼まれれば嬉々として取り掛かり、少なくともハッキングを苦だとか退屈だとか感じることは決してない。

 対して黒崎コユキというのはセミナーの仕事を退屈だといっている。計算は好きではなく、チェスなど計算能力が求められるゲームよりもギャンブルや運ゲーを好んでいる。先生の秘密を覗き見るときでも、目的は秘密を見ることそのものであって、手段は強調していない。

 まとめると、黒崎コユキには暗号解読の才能があって、でも自己肯定感が低い。能力をひけらかすようなことはしない。暗号解読はつまらないと感じている。

 なんでこうなのかというと、コユキにとって暗号解読は簡単すぎるのだ。

 コユキにしかできないといって頼まれた仕事は、コユキの視点では刺し身にたんぽぽを乗せる単純労働でしかない。自己肯定感が低い原因もこれだ。簡単なタスクは虚しいだけ。自分が難しいことを成し遂げたという達成感が致命的に不足している。ユウカやノアに怒られた経験だけが積み重なっている。

 ここからがこの記事の主題。黒崎コユキの倫理観の欠如とおもわれるアレコレも、暗号解読の才能ゆえに生まれたギャップなんじゃないか?

困難さと約束事

 日本に来た外国人が日本的な空間の仕切りに戸惑う、というのはたまに聞く話だ。本質は日本がどうこうではなく、空間の仕切りは共通認識があって成立するというところ、または「何が空間を仕切るのか」。

 空間の仕切りといえば、壁、扉、門、パーティション、などなど。視線や移動を妨げるものは世界のどこであっても仕切りだ。問題となる領域は、もっと微妙で、軽い扉と錆びついた扉の区別だとか、ガラスの扉は木の扉に比べて開きやすいかだとか、そういう仕切りの有無の二元論に落とせない感情の機微にある。

 施錠はそういう微妙な領域で移動するファクターだ。「鍵の掛かったドアを開けてはいけない」は大多数の人間が共有している感覚だが、「閉まっているドアを開けてはいけない」というと因習臭い話になる。同じ鍵でも4桁のダイヤル錠というとそこらへんのロッカー、IDカード+虹彩認証なら厳重なサーバールーム程度のセキュリティを想像する。

 つまるところ、鍵は「開けてはいけない」という意思表明なのだ。どのくらい開けてほしくないか、というのは鍵の強さに直結する。開けられたくない扉には、相応の鍵を掛けなければならない。

 一般化すれば、物事について「困難にしたことは、やってはいけない」という暗黙の約束を交わしている。物理的空間の仕切りから倫理上の善悪の区別へと話を転換できる。この倫理観は物事の困難さによって共有される。

コユキにとっての困難さ

 黒崎コユキは困ったことに、ドアノブをひねる程度の感覚で暗号を解読できる。実在するオラクルマシンだ。

 コユキには簡単に解読できてしまうせいで「困難にしたこと」の齟齬が生じる。この齟齬は、そもそも我々の日常において暗号が強すぎるせいで拡大してしまっている側面もある。

 一般的な能力の範疇であれば、RSA暗号くらいの強度でも「解読は不可能」だ。ダイヤル錠をたかだか10000桁の総当りで解くのとは別次元のカロリーが必要だから、それくらい強く「やってはいけない」を要求しているし、突破されたら相応の被害が出ることが許容されている。広くカジュアルに使われている割にべらぼうに強い仮定が置かれている。

 「困難にしたこと」に齟齬が生じるから、「やってはいけない」で表される倫理観にも影響が出てくる。「簡単にできることは、やってはいけないように見えない」。

 ここに齟齬のデカさが効いてきて、我々の目には一見ガチガチに保護された禁忌が、オラクルマシンコユキにはコンビニのトイレくらい地続きでカジュアルな空間に見えているかもしれない。間違わないためのセーフティが機能しなくなる。コユキの倫理観の欠如の正体はこれなんじゃないだろうか。

 もちろん、簡単にできるからといって、やってはいけないことはある。「困難にしたことは、やってはいけない」は広範な倫理規範の一部を暗黙に説明する手段であって、それで一括りにできない部分は、もとより個別に説明する必要がある。コユキにはその部分が人より多く、追いついていないわけだ。

 反省しない、反省する意思がないように見えるのも、そもそもコユキからすれば理解できない・見えないルールを山のように押し付けられる理不尽を汲み取ってやるべきだろう。日常的に多すぎる物事には対応しきれないし、誰かが嫌がっていることだと理解すればコユキはちゃんと反省できている。

 コユキが成長するためには、我々が強すぎる仮定を置いた空間で、なにを「やってはいけない」か、どうして「やってはいけない」か、というのを根気強く共有するしかない。コユキはその途中にいるのだ。

 というわけで、黒崎コユキについて、カスのクソガキという偏見を取り払って、一人の生徒として暖かく見守りたいな、と絆エピソードを通じて感じたのである。コユキかわいいよコユキ。

※本記事は「船上のバニーチェイサー」を履修していない一個人が執筆しています。復刻が来たら手のひらを返す可能性があります。


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