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署名活動一票の価値

目指せ100万人の旭川いじめ問題の署名活動は約8ヵ月が経ちました。

私は9月から活動に参加し約5ヵ月になります。

現在、約10万人の署名数。

そして、第三者委員会の報告期日は6月末です。
あと4ヵ月をきりました。

毎週末、この活動にご賛同いただいている方達が、全国のどこかで熱い思いを伝え続けています。

来日も来日も、SNSで拡散し、投稿し、
現地で休むことなく声をあげ続けています。

誠に非力ではありますが、私もその一人です。

ですが、

多くの人の頑張りとは裏腹にいまだ残り90万人。

単純計算では到底不可能です。

そして、

いつしか、それとなく日々を過ごしていました。

YouTubeのコラボ、メディアの報道、
これらをきっかけに何かしら奇跡がおこればなぁ。

みんな頑張ってるし、これはボランティアだし、

もう少ししたら何かしら事実が明らかになり、
あとは警察や弁護士に任せるしかできないし。

やってることは社会的意義はあるから。

自責の思いで始めた活動は、
他責や他力本願に委ねている自分がいました。

気づけば、

署名数100万人という目標は、
活動をする事に意味があると変わっていたのです。


話は変わりますが、

『一票の格差』

みなさんも一度は耳にしたことがあると思います。

『同一選挙区間で、有権者数や人口数が異なっていることで1票の価値あるいは選挙区民一人ひとりの価値が異なっていることを指摘する言葉。』

例えば、100人が当選ラインであれば、

投票数101人の政治家は当選となり、投票数99人の政治家は落選となります。

たった2名しか変わらないだけで、
今後数年は力をもてないことになります。

つまり、

落選者に投票した半数の思いは届かなくなります。

1票の格差とはすなわち1票の価値のこと。

真剣な思いで期待していた一人一人の思いは、
結果なかったことに、後回しになるわけです。

ちょっとの差で結局何も変えれないんだ、
だったら期待するだけ損ですよね。

選ばれる政治家は投票した人達を覚えてないけど、投票した人達は誰に何の目的で投票したのかをはっきりと覚えています。


署名活動において、僕は署名する側ではなく署名をいただく側です。

仮にこの先、数が伸びず残り90万人を残したまま終わった時、僕達は何と声を掛け合うのだろうか。

頑張ったからよかった。
やったことに意義がある。
仕組み的に仕方ないね。
あとは発起人に任せるしかない。

多くの他責できっと自分を肯定するに違いない。

結果うまくいかなくて他責にするくらいなら、
はじめからやらなければいい。
そんなことで明日から楽しい日々を送れるなら、
こんな無駄な時間を費やす必要はない。

何のために始めたのか。

僕は初心に戻りました。

悲惨な思いをしている子供達が、
一人でも減って欲しい。
どうしたらいいか分からない傍観者達が、
一人でも多く立ち上がって欲しい。

本気でこの教育現場を変えたい。

その思いだけで始めました。

その背景には、
誰もが一度は感じた社会の風潮の中で、
何か引っ掛かりながら多くの時間を溶かし、
しばらく全てを手放し時期尚早とした、
そんな時間がありました。

ですが、
再起をかけ証明したい思いがあります。

絶対に無理、意味ない、うまくやれ、余計なことは言うな、要領よくやれ、知らんことにしとけ。

この言葉達が、うんざりだった。

周りの雰囲気で出来る出来ないを判断し、
経験や実績があるかどうかを重要視し、
チームや上層部の空気を読み、
人一人と向き合うことを非効率とされ、

この腐ったあらゆる空気が大嫌いだった。

僕は、するかしないかで判断します。
出来る出来ないは結果論です。
経験や実績は関係ありません。

困ってる人を助けて何が悪い。
人一人と向き合えない人間に何ができる。

あまりにもひどい教育現場を知って、
事無かれ主義が許せなくて、
不可能を可能にしたくて参加したんです。

残り90万人。
数に追われていた僕は、
人一人と向き合うことを忘れていました。
署名してもらう事に執着しすぎていました。

事の重大さや悲痛な思いを相手の心に伝えようとしていなかったんです。

その日、数がとれなくていい。
一人一人と納得いくまで向き合うことを優先する。
共に活動するメンバーが楽しめる事を優先する。

それができれば、
隔週、訪れてくれる人が必ず増えてくる。

6月末までに万が一100万人いかなくとも、
止める理由はなく100万人いくまですればいい。

時間がかかっても一人一人と向き合った100万人でないと社会には意味がありません。

世の中は、仕組みや政策で少しずつ数字が良くなればいいと考えています。

それは大変重要なことですが、
それでも手の行き届かない子供達がいます。
向き合おうとしてこなかった事実があります。

これまで見てみぬ振りをされた多くの子供達、
そしていま尚苦しんでいる子供達、
そんな世の中に期待できない子供達、

多くの子供達が我々大人がつくった社会の中で、
どうすることもできずにいるのです。

それを見てみぬ振りなんかできません。

平日含めて一人にキチンと思いを伝える、
これを繰り返していきます。
その積み重ねを週末の活動にも活かしていきます。

何がどうなっても、教育現場が変わるまで止めることは考えられません。

この記事を見てくださった皆様、
どうかこの思いを汲み取ってください。

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