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毒親との日々〜姉からの暴力〜

姉は近くにある物で私を殴るようになっていた。これは完全に母の影響だろう。

姉は自分の愚行を母に知られるのを嫌った。だから何をされても母には言わないようにしていた。言えばエスカレートするからだ。

私が中学一年生、姉が高校一年生の時。
ある日の休日の昼間、私に対して気に食わないことがあり、姉はリモコンを私に投げつけた。顔を庇った手に当たり突き指をし、もう嫌だ!と思い寝室で寝ていた母に助けを求めた。
母は「姉を連れてこい」と言い、私は姉に『お母さんがよんでる』と伝えた。

すると後頭部に衝撃が走り、膝をついた。温かい何かが頬をつたった。顎からポタポタ血が垂れ、私は状況が理解できなかった。
姉の手にはアイロン。服などのシワを伸ばすための道具であるアイロン。アイロンで後頭部を殴られて血が出ている。やっと理解出来た時にはパニックになっていた。

生きている、大丈夫、とにかく血をどうにかしなければと思い、洗面所にタオルを取りに行き、血を押え母の元へ行った。
アイロンで殴られた、血が出ている、病院に連れて行ってくれ、ということを話した。
母から返ってきた言葉に愕然とした。
「私は酒を飲んでいるから連れて行けない」
救急車を呼ぶわけでも、タクシーを呼ぶわけでもない。何もしてくれなかった。
病院に行くからお金が欲しいと言い、お金を貰った。

救急車を呼ぶと近所の人みんなに知られてしまう!と考えた私は、近所で唯一関わりがあった家に行き「階段から落ちて怪我をしたので病院に連れて行って欲しい。母は酒を飲んでしまったので運転できない」とお願いした。今ではなぜタクシーで行かなかったのかと思うが、この頃はタクシーというのは思いつかなかった。

病院の救急外来で処置を受けていると
「これは縫わなきゃいけないね〜階段から落ちちゃったの?」
ときかれ、医者に嘘をついてもバレると思い
『本当はアイロンで殴られたんです。でも誰にも言わないでください』
と伝えた。
この状況に絶望していた私は意識せずとも助けを求めていたのかもしれない。
ドラマなどでは児相に連絡がいったりするのだろうが、私の場合は特に何も起きなかった。

固まった血で髪の毛が張り付き、剥がす時とても痛かった。麻酔を打たれる時もとても痛くて、なんでこんな思いをしなくてはいけないのか、と痛くて悔しくて泣いたことを覚えている。
3針縫い家に帰った。

家に帰りたくなかったが、子供の私には帰るしかなかった。
どんな反応をするのだろう、謝られるのだろうか、心配されるのだろうか…
家に帰り母に報告すると「私が怒っといたから」とだけ言われた。
寝転がると痛いので椅子に座って寝た。

起きると姉から手紙が置いてあった。
謝罪の手紙だと思ったが、そうではなかった。
大丈夫だったんでしょ?と、おちゃらけたような、ふざけた手紙だった。
「あほ○○は口開けて寝てる」とイラスト付きで書いてあったのを忘れない。
今現在に至るまで謝罪は受けていない。

運動ができず、頭を洗えなくなり、不便な生活だった。
ネットが外れてすぐ、同じクラスの男子生徒に「うわ!お前頭汚ねぇ!!」と言われた。洗えなくて痒かったし、わかってはいたが辛かった。すごくすごく辛かった。
保健室の先生に泣きながら話をすると、話を聞きながら取れる限りのフケを取ってくれた。
先生は「バンダナしてきたりしてもいいんだよ」と言ってくれたが、そのバンダナを用意してくれる人はいないし、フケを取ってくれる人も家にはいなかった。そして私もそれらを頼めなかった。

家に帰ると洗面所で傷を触らないように必死で頭を洗った。傷ギリギリまで洗った。傷に触れていたのかもしれない。でも私にとってはそれよりも洗うことを優先したかった。

私は姉に殴られたことを隠し、こんなに辛い思いをしているのに、殴った姉は怪我をして帰ってきた私をバカにし笑った。謝りもしない。絶対に許さない。
この時から私は姉を姉と思わなくなった。

しかし中学生。どうすることもできないので変わらず生活をしていった。
早く家を出たい、ただそれだけを考えていた。

ちなみに父はこの時のことを知らない。父にも言えなかった。
このことを事件化していれば何か違ったのだろうか…と思うが、もし今タイムリープしたとしても、私は声をあげられないのではないか、と思う。

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