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毒親との日々〜家庭崩壊①〜

小学校2年生のクリスマスイブ
その日は母と姉と3人で父を職場まで迎えに行った。帰りにコンビニに寄り、パーティーぽいことをしたかった私はクラッカーを買ってもらった。

家に帰りお風呂に入り、クリスマスパーティー。自分が望んで買ってもらったにも関わらず、こわくてクラッカーの紐が引けなかった私。父に一緒に引いてもらった。楽しかった。
食事も終わり、ダイニングのすぐ横のリビングでクラッカーから出た紙テープで遊ぶ私と姉。
ダイニングにいた母が「は?!なんて?!」と大声を出して驚いた。

「好きな女ができたから別れてくれ」
父が言った。

『え?お父さん?今なんて…?』

さっきまで楽しかったクリスマスイブ。
なぜクリスマスイブだったのか。
なぜ子供達もいる場での発言だったのか。
限界が来てしまったのかもしれないが、この時の父のことは理解できないし許せない。

そこから音を立てて家庭が壊れていき、地獄のような日々だった。
母は泣いて別れたくないと言っていた。この時、お母さんってお父さんのこと好きだったんだ?!と姉は驚いたらしい。私も同じように思った。
父の気持ちが変わらなかったからなのか、母は父に怒り、出て行け!と言うようになった。

私は泣いて『嫌だ、出て行かないで』と懇願した。しかし母は「早く出ていけ!」と。父は私が泣き叫ぶ姿を見て「この状況で出て行けないだろ」と言った。
この時出ていったかどうかは覚えていない。

私の親は子供の前だろうがお構い無しに喧嘩をした。嫌だったしこわかった。
ある日、いつものように親が喧嘩をしていた。しかしいつもよりヒートアップし、母が武器(料理の伸ばし棒だったか包丁だったか曖昧)を持ち、止められない私は(確か姉も一緒に)裏の家に逃げ込み、助けを求めた。裏の家のキッチン窓から我が家のリビングが見える。裏の家のお母さんと一緒に窓から我が家を見たのを覚えている。武器を持った母と父が正座で向かい合っていた。
大きくなってから父の太ももに縫い傷があるのを見つけた。母に刺されたと言っていた。いつ刺されたのかはわからないがもしかしたらこの時だったのかもしれない。

その後、裏の家のお母さんはおそらく母に話をしたのだと思う。母が裏の家の悪口を言うようになり「お前のせいで」と言われるようになった。この頃から近所との関係も悪くなっていった。

この頃の記憶は曖昧で、家の事はほとんど覚えていない。特に父のことは記憶がすっぽり抜けているような感覚。

母が荒れたのは覚えている。元々多かった酒がさらに増え、リビングでゲロを吐き、漏らすこともあった。私は泣いていた。姉が処理をしていた。
母がいなくなり、唯一仲が良かった近所の人と探したことがある。駐車場にいて「家に帰りたくない」と言っていた。母は壊れていた。

いつからか母が働きに出るようになった。しかし料理の好きだった母が、休日家事をしなくなった。朝から酒を飲みいつも寝ている。コンビニ弁当を食べ、子供達が出来ることをやるようになった。

元々悪口が多い人だったが、常に悪口を言っていた。
「お前達の父親はお前達を捨てたんだ」「子供達がどうなろうと俺には知ったことでは無いと言ったんだ」とよく言われた。
元々居心地が悪かった私は、父に捨てられ、母に気に入られようと必死だった。父のケータイを盗み見て、メールのやり取りをノートに書き写して母に報告したり、アクセサリーの領収書を見つけると、報告し隠し持っていた。

母はよく「お前が高校を卒業するまでは離婚できない」「頼むから早く高校を卒業してくれ」と小学生の私に無理な要求をした。私のせいで離婚できないんだ、ごめんなさい、と罪悪感がすごかった。だからこそ余計に離婚の証拠集めのようなことを頑張ってしたいたのだと思う。

もちろん我が家からクリスマスは無くなり、クリスマスはタブーだった。そして私のトラウマにもなった。毎年クリスマスが辛かった。

そしてどんどん姉からの当たりが強くなっていった。

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