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毒親との日々〜幼少期〜

うちは父が大手企業に務めており、大金持ちでは無いがお金に余裕があったと思う。
母は専業主婦だった。ママ友とランチに出かけ、酔っ払いながら車で学校に迎えに来るような人だった。

習い事は毎日だった。ピアノ、英語、そろばん、習字、剣道、卓球、バレエ、水泳、バイオリン…色んなことをやってきた。

躾は暴力だった。
素手だけではなく、ハンガーなどでも叩かれ、体にみみず腫れができたこともある。怒鳴られる、叩かれるのが嫌で、私は母に怯えていた。

父は良くも悪くも母の言いなり。育児方針などは全て母が決めていた。私は父が好きで懐いていた。

姉は母が大好きだった。いつも母にくっついていた。私に対しては姉が主導権を握り、威張り、姉の言うことが絶対だった。

母はいつも「姉は私に似ている。お前は父方の顔だ」と言っていた。この頃から、母と姉、私と父、というセット感?があったように思う。
ただ、大人になった今昔の写真を見ると、母にそっくりなのである。姉とは双子?と言われるくらい似ているらしい。だからなぜ執拗に「父に似ている!父方の血だ!」と言われ続けていたのか…謎である。

父は朝早く夜遅いので、私は家が好きではなかった。居心地が悪かった。
全ての決定権は母にあるので、自分の希望する子供番組を見たことがない。テレビは母のみたいものを見る。子供に合わせるということは我が家では絶対になかった。母の好きな物が絶対なので、母の好みに合わないと、ダサいセンスがない、と言われていた。
テレビは各部屋にあったので、私は早々にリビングを離れ1人で見たいものを見ていた。

母はカラオケが好きで、よく一緒に行った。そこでもポケモンやクレヨンしんちゃんなどを歌おうとすると、前奏で演奏中止ボタンを押された。泣く私を見て母と姉は笑っていた。この頃からカラオケは母の気に入る曲を歌う場所になっていた。

今思えば信じられないのだが、たまに子供を家に置いて、2人でパチンコに行っていた。パチンコに行くということは知っていて、姉と2人で過ごし寝ていた。
パチンコ店に入り、打ったこともある。時代かな。その時の話を今でも平気で鉄板ネタのように話す母。色んな意味ですごい。

私が幼稚園児の頃、姉が剣道を習い始め、木曜日の19時から21時だったと思う。1人で家で過ごしていた。寝室でジブリやディズニーなどのビデオを流して私を1人残して出掛けていた。ビデオを見ながら寝落ちするのだが、いつもこわかった。だから木曜日が嫌いだった。
1度だけ、ビデオが巻き戻しされておらず、1人になってすぐに見れなくなってしまったことがあり、こわくてこわくて耐えられず、仲の良かった裏の家に行き過ごさせてもらったことがある。親になった今では信じられない行動である。

ざっと簡単にだけど、こんな幼少期を過ごし、すっかり家では自分を殺すようになっていた。

それでも私にとっては普通のことだったので、家族が嫌いではなかった。
小学校2年生のクリスマス、家庭崩壊するまでは。

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