【五島崇行とは誰か?】5

私が川崎店に赴任して前任者がほぼほぼ放棄していた仕事を確実にこなし「買取の川崎」という名前は数値と共に確実なものとなっていった。
現に買取額に関しては秋葉原のメインとなる店舗と同等か、日によってはそれ以上だったが、私自身は川崎はまだまだ伸びるという自信があった。
本社的にも、その流れは感じ取っていたので、早々に間借りしている店舗ではなく、移転すべきというつもりで動いていたと思う。

移転先はすぐに見つかった。今の店舗から徒歩3分。
1階が店舗で2階が倉庫兼事務所という場所に、リニューアルオープンする事になった。
正直今を振り返ると勝つ要素しかなかったように思う。
23区と横浜の中間地点。家賃も都内よりも格安でベッドタウンとしては絶好のロケーションだったし、ラチッタなどの商業スポットの開発も進みつつあった。
ラゾーナ川崎のオープンが、商圏として決定打となるが、そのオープンは、この時点ではもう少し先のお話しとなる。
競合となる店舗も都内に出ないとなかったのでニーズは確実に、そこにあった。
本来、中古店は買取が発生しないと商売にならないが、商品は売る程あった。
ただでさえ好調の中でのスタートだったが、一般客の増加が更に後押しをしてくれ、気が付けば買取は毎日前年比で150%をコンスタントで出し、販売額で前年比300%を越えた日は、我が目を疑った。
スクショでもしておけば良かったと今更に思う。

しかし気が付けば自宅と職場の往復しかしていない生活となり、20連勤は当たり前。鏡で自分の顔を見ると、よく分からない吹き出物が出来ていて。
仕事の充実と引き換えに、プライベートは完全になくなっていた。

そんな中、我に返らせる事件が発生してしまう。

営業中に展示していた当時の売価で8万円程度のノートパソコンが盗難されてしまったのである。
通常高額品はガラスケースに入れるか、防犯用のワイヤーを付けて展示する事になっていたが、ワイヤーが不足していたので、そのワイヤーを付けるのを怠ってしまい、店内が混雑する隙をつかれた形での犯行であった。
会社からは再修業という意味合いで、一般社員として秋葉原勤務に戻る事が命じられた。
私自身防犯意識が低かったというのもあったし、日々の激務から解放されたいという欲求もあったので、会社の指示には大人しく従った。

それからは普通の社員として気楽に秋葉原勤務をしていたが、過去の成功体験というのは忘れられないもので、自分のお店をやりたいという欲は気持ちのどこかに常にあった。
日常的に本屋にはよく通っていた(主に古本屋だったが)ので、今の仕事の経験を書店に活かす事が出来ないかと、いつしか考えるようになった。
ふと見ていた求人に、ジュンク堂新宿店のアルバイト募集が目に入った。
アルバイトの時給は相変わらず低い。
それでも何故か履歴書を書き、面接のアポを取っていた。
結果は即日即答で不採用。
「五島さんの経歴なら、わざわざ書店のアルバイトでなくても。。」というものだった。
それもそうで、当たり前だが現職でパソコン屋の店長までやっていて、給料も書店のそれとは全然違っていたので、何のつもりで書店のアルバイトと思われたんだろう。私が面接する立場だったら、やはり同じようにやんわり断るはずだ。

それでも書店でまた働きたい気持ちにはなっていたので、引き続き求人を眺めていると近所に大型ショッピングモール「ラゾーナ川崎」オープンのニュースが耳に入り、同時に「丸善ラゾーナ川崎店」オープニングスタッフ募集の広告も目にする。
まあ何事も経験と思い応募した。
もちろん店舗は未完成だったので、面接は当時丸善のオフィスがあった日本橋だったように記憶している。
さすがに大型店のオープンなので面接も個別ではなく、グループ面接。
周りはリクルートスーツに身を包み、緊張した面持ちの人が多い中、やたらこなれた感じの奴が一人。
以前に新宿でもされた質問。
「五島さん、アルバイトで本当に良いの?」
「ええ、構いません。自分の経歴が書店で役に立つか試したいんです。その代わり最終的には店長やりたいです」
一語一句そう答えたかどうか定かではないが、そんな感じに答えたのは覚えている。
書店員として再出発した瞬間であった。

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