自分も他人も全て捨てたいと思うことがある
誰もがみんな自分を演じている
家族の前での自分
学校の前での自分
職場の前での自分
友達の前での自分
彼氏彼女の前での自分
いろんな自分がいる
色々な顔があるのは良い。ペルソナってやつだ。
でも「誰かのための自分」を演じるのは嫌だ
親が良い子って言ってれるために、良い子を演じる子供
学校で嫌われない為に、普通を装って関わる
上司に良い印象を持たれた方が働きやすいから、そう振る舞う
彼女が喜んでくれるから、理想の彼氏を演じる
誰にだってあるし、ダメって訳じゃない
家族の為に、友達、彼女の為に自分が演じて相手を楽しませる
それは「愛」とも呼べるのかもしれない
ただ
たまにそれをやめたくなる
キャラも、肩書きも、役職も全部捨てて
「自分のための自分」になりたい時間がある
僕は彼女がいても、1人の時間が欲しい
その理由はここにある
「1人の時間」と言っても変なことしてる訳じゃないよ
でも、一つだけ言えるのは
「1人の時間でいる自分を好きになる人はいない」
自分のことを好きだって言ってくれる彼女がいても、引くと思う
その一部を書いてみよう
自分はよくない出来事が起きるとテンションが上がってしまう
例えば「災害=ゲームのイベント発生」の様な感覚に陥る
大地震の時も学校から緊急下校したが、テンションが上がって自転車で出かけた
台風で停電しても、真っ暗な世界を見ようと出かける
災害で人が亡くなったりするのは嫌だよ
でも正直、感情は動かない
災害で被害は起きてほしくないけど
被害に対してそこまで感傷に浸ることもない
自分に当事者意識が湧かないからね
どこまでいっても他人事と捉えてしまう
僕は近しい人以外には、その感情は持たないよ
え、冷たい?サイコパスだって?
みんなそうでしょ
「全ての人間が、無意識に他人の命の重さを秤にかけてる。
それを意識的にやってるだけで批判するな。」
亜人の主人公:永井圭のセリフだ
そう。これなんだ。
人が死んだニュースなんて毎日やってる
それにいちいち感情的にならないだろ
世界でやってる戦争よりも
僕らは明日の仕事の方が大事なんだ
あとは離婚したとか、別れたとかが面白く感じてしまう
人の不幸話を楽しんでしまう
不幸を喜んでいる訳じゃないよ
ただ前にあった幸せが「フリ」になって、お笑いの「オチ」がきたみたいな感覚
「あれだけイチャイチャして別れてんじゃんw何が一生一緒だよw」って
だって面白いでしょ
500万以上かけて結婚式して離婚だよ?
笑うしか無いでしょ
自分がそうなっても笑うよ
逆に笑えるネタにする以外ないやろ
ずっと落ち込んでる方がしんどいって
「大丈夫?辛いよね。」とか無い
自分は「他人の感情理解は無理」と思って生きてるから
もし自分が周りに言われても「お前に何が分かるんだよ。わかったフリすんな」と思うし、仲良く無い人に自分のことを知った風に話されるのも好きじゃない
オブラートに包んだがこんな感じだ
これも表面の一部だ
こんなことを職場や友達、彼女の前で言ってみな
「昨日の地震まじテンション上がりましたね
飛行機爆発ってあれやばく無いですか!
あいつ離婚したってw」
どう考えても引かれる
まともな人間じゃないと見られるさ
まともな人間じゃないからね
でも人と生きる以上合わせることが必要なんだ
だから普段は普通にしているよ
その代わり1人でいる時間は自由にさせてよ
その時間があるから、まともでいられるんだ
家族にとっての、友達、彼女にとっての自分、彼氏としての振る舞い、夫として…
そんなのどうでもいい。全部面倒くさい。疲れた。
それで浮気や不倫に走るんだろうね
別にやりたい人はやればいいと思うよ。
犯罪じゃないし、破滅するのはその人だし
こういう考えに至ったには、無意識に選択肢を取られてたからだとおもう
僕も末っ子である程度「これはこういうもん。していい。よくない。」を無意識に分かってしまっていた
親が喜ぶこと、怒ること、友達が嫌なこととかね
分かってしまうとそっちの方が楽だからそうしてしまう
気づけば「選択する」って行為が他人任せになる
他人が選んだ選択なんて疲れるし、楽しくないしふとどうでも良くなる
ばーーーっとなる
子供ができたら
自分で選ばせて自分で責任を負う様に育てたい
何が言いたいかって
自分も他人も全て捨てたいときがあるって話さ
自分を冷たい人、最低と思った人
多分そうだよ
自分で書きながらカスみたいな一面だなって思うよ
ただ、僕を全否定したい人に話したい
僕は年始の地震で1万円寄付したよ
君は何かした?
言いたいのは金額がどうこうじゃない
「何か行動に移したのか」ってことだ
ただニュース見て可哀想だと感傷に浸っただけで、僕を責めるならお門違いだ
君は自分の感情を肯定して、自己満に浸りたいだけだ
「可哀想で凄く悲しくなった。こんなこと起きてほしくない。」
悲しくなったのも、起きてほしくないのも主語は「あなた」だ
本当に人の為に悲しでるなら、行動で見せるしかないんだ
そんな哀れむコメントは現地の人には、なんの足しにもならない
可哀想かどうかは被災した人が決めるんだ
勝手に憐憫な目で野次馬の様に見られたくないかもしれない
「大変だったね」って言葉だけと、寄付したお金で生活用品が得られる
現地の人はどっちが助かるかな、嬉しいかな
心の優しい人のボランティアか
悪い人からの100万円寄付か
どっちが「正しい」かなんて分りゃしない
そんなものを他人が決めるものでもない
本人が救われたと感じられたら
それが全てだと思う
「気持ち」なんてケツ拭く紙にもなりゃしないわ
大切にするってことは
その人の為に行動し実現することよ
『亜人』
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