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【日銀総裁候補】中曽氏ってどんな人?
日銀総裁人事が大詰めを迎え、市場や報道の脚光を浴びています。政府は来週国会に提示するとみられており、観測報道がいつ加速してもおかしくない状況です。
総裁人事を巡り、2/6には日経新聞が「政府は雨宮副総裁に打診した」と報じましたが、政府・与党からは「そのような事実はない」(2/6 茂木幹事長ら)との発言もあり、市場の見方は「雨宮氏確定」にまで至っていません。
むしろ今週の岸田総理の発言から、市場では中曽総裁説も再浮上しています。
中曽氏は歴代日銀幹部のなかで、私が特によく取材した方です。私が昨年、日経新聞を退職した後も直接ゆっくりお話をうかがう機会がありました。中曽氏の経歴や考え方を紹介することで、中曽総裁が誕生した場合の今後の金融政策運営や市場への影響をまとめます。
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なお、雨宮氏については下記記事で紹介しています。
◆ 黒田体制前半の副総裁
中曽氏は2013~18年に日銀副総裁を務めました。日銀出身者として、黒田総裁(財務省出身)を支えるとともに、日銀の職員を束ねてきました。退任後は日銀の金融政策について公の場で話すことは多くありませんが、この数年の対応についても批判することはありませんでした。
その点で、中曽氏が総裁になっても大枠でいえば雨宮氏と同様、これまでの金融政策が急転換する可能性は低いといえます。
そのうえで、雨宮氏と対比した中曽氏の特徴をまとめていきます。
◆ リーマン対応
雨宮氏は金融政策を立案する企画局が長かったのに対し、中曽氏は金融システムや金融市場の所掌が長く、海外金融当局幹部とのパイプの太さは財務省・金融庁関係者を含めても日本を代表する存在です。
象徴的なエピソードは2008年のリーマンショックです。
当時、中曽氏は日銀の金融市場局長でしたが、同時にBIS(国際決済銀行)の市場委員会議長も務めていました。BISは世界の中銀幹部が集う場。国境を越えた金融規制や危機対応で、きわめて重要な役割を果たします。
2008年9月15日の未明、中曽氏のもとにニューヨーク連銀から「リーマンブラザーズの破綻が決まった」との知らせが入りました。BIS市場委員会議長として、各国中銀幹部に緊急の電話会議を招集しました。リーマンの破綻決定からわずか90分後に会議が始まったといいます。
リーマン破綻により、金融機関同士の疑心暗鬼が急激に高まり、ドルの短期市場で資金が干上がりかねません。そこで中央銀行間でドルの融通を決め、各国中銀が銀行にドルを供給する協定を結びました。
実務的な合意文書の詰めは後回しにし、口頭で合意を進めました。中曽氏はNY連銀のダドリー氏、ECBのパパディア氏、BOEのタッカー氏ら、金融市場に精通した幹部らと連携を深め、属人的な信頼関係があったからこそ、いわば「口約束」でのドル協調供給が決まったといえます。
日銀副総裁時代にはパウエル現FRB議長(当時は主にFRB理事)とも親交が深く、世界の中央銀行サークルでも中曽氏は高い信頼が寄せられています。雨宮氏は海外経験が少なく、海外金融当局の知名度は必ずしも高くはありません。
◆ 国債市場に問題意識
中曽氏は1990年代後半の日本の金融危機の対応にも奔走しました。ここでは詳細を省きますが、銀行経営の健全性確保を通じた金融システムの安定には日銀内でも人一倍強い思い入れがあります。金融業界とも太いパイプがあります。
同時に、国債市場の機能低下への懸念も持っています。副総裁在任時は、副作用を意識しながらも、2%物価目標という金融政策の大義のほうが重要であるとし、緩和を推進しましたが、ボードメンバーのなかで、国債市場へ最も深い懸念を寄せていた人物でもあります。
こうした点から、中曽氏が総裁になった場合は「雨宮氏よりも金融緩和の修正に前向きではないか」といった観測につながっています。
◆ 岸田総理の発言に思惑
今週に入り、「やはり総裁は中曽氏では?」との読みも市場で再浮上しています。きっかけは岸田総理の国会での発言です。
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