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ある思いつき

それを思いついたのは9月の土曜日だった。

ふと時計を見たら9時28分、そうだ今日は9月28日、日付けと同じだ。一日に一回、時計はその日と同じ時刻を指すんだな。あっ、そうか。待てよ、毎日、その日と同じ時間に僕と時計とでツーショットして、毎日、インスタとかツイッターに投稿する、ってのはどうだ?いいアイデアじゃないか?

そしてそれを一年やる。明日は9月29日だから9時29分に自撮りすればいい。そんな風にして毎日一回、一枚撮影して投稿する。思い立ったが吉日、早速始めよう。今日はすでに逃してしまったから明日からやろう。そして僕のチャレンジは始まったのだ。

シャッコッ!ふーっ。
ああ、危ねえところだった。うっかり忘れてしまっていた。初日からこれかよ。いかん、いかん。でも、まぁ、しくじったらその次の日から改めて始めればいいんだ。慌てなくていい。前代未聞、ひょっとするとギネスブック級の挑戦じゃないか。

我ながら大した発想だと思い、僕は順調に日を重ねていった。夏が過ぎて、秋になった。10月。平日は、朝仕事に行く前撮影することは無理になった。僕はその時刻が近づいてくると、そわそわするようになった。デスクワークしてる時は、トイレに行くふりをして、シャコッとやればいい。会議になったりしても、えへんと咳払いをして、やはりトイレに行けばいいが、その時刻に発言したりしていてはいけない。僕は慎重になった。まだ始めてから一か月ほどとは言え、振り出しに戻るのはごめんだ。

11月を無難にやり過ごすと、12月は楽勝だった。昼休みになったからだ。時刻通りに自撮りを続け、インスタとツイッターに投稿した。3か月もやっていると、だんだん注目されるようになり、フォロワーも増えていった。勿論、いいねを示すハートマークの数も二桁から三桁に伸びていった。

ところが、大晦日で12月におさらばすると、状況は一気に難しくなる気配を見せた。1時。午後1時ではない。夜中の1時だ。だが、もともと夜型だから、1時は宵の口。どうってことはない。1月を乗り切り、2月も中程になると、ちょっとずつキビしくなってきた。それでもたかが2時半、昼間急に睡魔に襲われて寝落ちしそうになったが、持ち堪えた。週末の寝溜めと、フレックスタイムを活用して、コアタイムぎりぎりの10時半出社で対応した。

3月。まだ暖かくなるには遠く、夜はいっそう冷え込む。僕は一日一枚の所為で、仕事に行ってもだんだん身が入らなくなった。顔色悪いぞ大丈夫か、と気遣われたこともあったが、周囲の連中は僕が前人未到の挑戦をしていることを知っているし、彼らは僕のフォロワーでもある。キミの成功はこの課の成功だ、などと人の努力に乗っかるヤツも出てきた。インスタとツイッターはますます盛り上がり、いまや世界から注目されているのを感じていた。

4月、今が一番ツラいのか、とにかく眠い。帰宅したらシャワーを浴びて軽く夕食を取り、少し眠るという作戦に出たが、寝過ごすことが怖くてよく眠れない。鏡をみたら廃人同然になっているのかもしれない。しかし、ここでコケる訳にはいかない。今まで積み上げてきたことが無になってしまう。そうだ、ドミノ倒しだ。ドミノ倒しに似ている。たった一個のドミノをうまく置けなかったために、全部倒れてしまうドミノ倒しだ。倒す快感は、見事並べ終えてからにしたい。いや、選択肢はそれ以外に、ない。

今を乗り切れば、あとは一気にやりやすくなる。5時はキツいが、朝は朝だ。そう自分を鼓舞し、5月、新緑の中に僕は居た。朝の空気は気持ちいい。大きなことを成し遂げた気分に僕を誘ってくれる。だが、油断は禁物、まだあと4か月あるのだ。

6月が過ぎて7月、8月、僕の感動を共有しようと、いまやフォロワーはものすごい数になった。そうなると僕のドミノはいっそうの恐怖を携えて僕を襲ってくる。自撮りタイムはすっかり朝になり、一時の体調不良も過去のこととなった。ここまで来れば勝利も同然だが、逆に1日でもしくじってはいけないというプレッシャーはどんどん強くなってきた。

そして9月。ついにここまで来た。一年前、この挑戦を思いついた月に戻ってきた。さぁ、もうどうにでもしてくれ。9月26日。あと一日。明日は絶対に、なにがなんでも失敗できない。もう寝ることすら怖い。徹夜だ。何が起きるかわからない。僕は家中の時計にその時刻になる1分前、すなわち9時27分にアラームをセットした。家中のアラームが僕をその時刻を逃さないように鳴り響くのだ。

時計を見る。9時24分。あと3分。そして2分後に、アラームが鳴り響く。僕はスマホをかざす。そして9時27分になった瞬間、自撮りのシャッターを切るのだ。そうすればひと回り。長かった挑戦の日々は僕の勝利で閉じる。

その時、なんとはなしに部屋の反対側に目をやった僕は、台所の湯沸かしリモコンが示す時刻を目にした。9時23分とそれは告げていた。えっ!?おかしいな、合わせたはずだと急に不安が頭を持ち上げて来た。ひょっとすると時刻が合っていないのか!?おいおい、どうしたらいいんだ。慌てていると、いきなり一つの時計がアラームを鳴らした!えっ、まだ早いだろう!?そして、別のアラームも鳴り出した。今や家中のアラームが勝手に鳴っている状況になって来た。今は何時なんだ!?その時はまだなのか、これから来るのか!?今まで写真を撮って来た時計は今何時だ!?あーっ!!!

その時計は無情に、9時29分を示していた。冷静な9時29分。僕がパニックになっていた間に肝心の時刻は過ぎてしまったのだ。まさか、まさか、おい!!一年間、一日ずつ積み上げて来たドミノが倒れていった。僕の頭の中でそれはあの例の音を大きく奏でていた。

終わり

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