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ニュー・ズボンズを観た翌朝、ROCKは文字通り破壊だと・・・

ドンマツオくんのニュー・ズボンズを観た翌朝、ふと、ROCKは「破壊」だと思ったので、ちょっと書いてみる。

「ロックは『破壊』だ」なんて、もうずっと前からわかってる古い概念じゃん、という声も聞こえるが、ROCKのドラム演奏、ギターのダウンストローク、これらは見た目にも、何かを破壊している仕草だということに気づいたのは、新鮮なことだった。よくギターのことをAX(=斧)と言うことがあるが、文字通り、斧でぶっ叩いて何かを破壊している訳だ。ドラマーは通常、スネアの皮を破りはしないが、「破れよ!」とばかりにぶっ叩いているはずだ。足もペダルを使ってキックドラムで破壊的一撃を与え続けている。シンバルにしても、ぶち割る覚悟で張り倒している。当然、凄まじい音量だ。

一方、ギタリストはどうか。ダウンストロークに飽き足らず、ギターを叩きつけるような仕草もするではないか。ネックを床方向に向かって激しく振り下ろし、叩きつけるような仕草。それで音が出る訳では勿論ないが、感情としては叩きつけているのだ。いや、歴史上では本当にギターをステージの床に叩きつけるパフォーマンスをしたギタリストが何人もいる。いくらエレキギターがソリッドな木材でできていても相手が床では勝負にならない。無惨にもギターは壊れてしまうのである。まぁ、それは極端な例として、とにかくダウンストロークで終始、ビートを打ち出す。ビートは塊となって、会場内に飛んでいく。観客もその打ち下ろされるストロークを見ているうち、身体を大きく揺らし、飛んできた塊を受け止めると同時に、自分も拳を振り上げ、振り下ろしたりして何かを壊しているがごとく没入する。そんな風景は稀ではない。

ロックバンドには大抵の場合ベーシストがいて、彼らはドラマーとギタリストが繰り出す破壊のリズムに絶えず、燃料を補給している役に見える。ネックを上に持ち上げ、身体を前後させる動作など、ショベルで石炭を窯にくべる姿そのものではないか。そして、キーボードプレイヤー。ピアノなら鍵盤を叩きつけることで、ドラムとギターの直接的な破壊行動に加担することができるが、そうでない場合、ドラムとギターが荒れ狂い、ベースが火に油を注ぐ間、一段高いところに居て、全体の儀式を執り仕切る役とでも言おうか。眼下に繰り広げられる破壊の一部始終を冷静に見守っているように見える。ニュー・ズボンズはこの楽器編成から言っても、理想の形態だと言えるだろう。そこにリード・ヴォーカリストの叫びとメンバーによるコーラスが決定的な騒乱をもたらす。大音量の儀式の中では歌詞の一つ一つは意味を持たない。うねりの中から聞こえる断末魔のような叫びこそ、破壊行動に似合うからだ。

ところで、ロックバンドには時々、これらの基本的な破壊する連中に加え、ヴァイオリンなどの弓で弾く奏者がいることがあるが、ギタリストやドラマーが「縦」の動きなのに対して弦楽器奏者は「横」の動きだから、何かを「破壊」しているふうには見えない。管楽器にしてもサックスはギターに近く何かを破壊する仕草もするが、フルートは基本、「横」の動作である。やはり何かを打ち壊す役目ではない。

ここでさらに想像を膨らませると、エルヴィスの登場が世の大人たちに警戒されたのも、エルヴィスが最初は「ギターを抱えたシンガー」で実際にダウンストロークでギターを掻き鳴らしていたからではないか。10年周期のスーパースターとしてみてみると、エルヴィスの前はフランク・シナトラ、その前はビング・クロスビーだと言われているが、彼らはギターも持たず、破壊行為を真似たアクションをしたわけでもなかろう。そしてこの仕草としての「破壊」とそれによって生み出される衝撃の塊が、物理的に何かを壊す代わりに、気に入らないことや閉塞感、さらには伝統や保守やモラルや人種の壁を壊す力を持っていた訳だ。だから、じっとステージを見つめるだけの人も、頭の中や心の中で、何かを破壊しているかも知れない。一方、それが高じて初期のストーンズをはじめ、ライヴで観客が暴徒化することも、元はと言えばこの破壊衝動の所為なのだろう。

ドンくんは先日のライヴでストーンズのベロマークが大きく描かれたTシャツで登場したが、ニュー・ズボンズのサウンドはとてつもなくデカいヴォリュームでかつハードなのだが、ストーンズ風であるわけでもなく、いわゆる様式美のハードロックでもない。それとは真逆のフリーフォームなハードロックである。聞けば、ストーンズのルーツでもチャック・ベリーではなく、ボ・ディドリーであり、繰り返しとそれによる一種呪術的な精神の高揚にシンパシーを感じているという。ライヴ終盤、僕はいつ、「悪魔を憐れむ歌」が出てきてもおかしくない、という気分になったが、それは起きなかった。

先日、友人とロックの話をしていると、彼が、元々ロックは首から下の呪術的な世界だったけど、歌詞も重要になってそれを理解したりするように頭がくっついた、というとても興味深い論を展開して、面白かった。ニュー・ズボンズの呪術的な志向にも符合するような意見だが、この辺はまたあらためて。

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