10月26日の「朝からロック」について

 今朝の朝日新聞の連載記事、最後の段落がなぜか書きかわってしまっていました。ですので、本来、僕が編集部にお送りした原稿をここに添付します。

 メールを確認したところゲラの段階で、二つ目の段落の文言が最後の段落に貼り付けられた原稿になっていましたので、僕のチェックミスでもあります。誌面の記事を書きかえることは不可能ですが、ネットで記事を読んでる方は記事が訂正されまるまでこちらを読んでくださると助かります。

 世間の評判のすべてを引き剥がした丸裸の自分には、一体何が残るのだろうかと時々考える。
 ポピュラー音楽の世界では、自分ではどうすることもできない人気という要素に、活動が影響を受ける。例えば、ヒット作に恵まれれば活動の経済規模を広げることができ、高級なスタジオやコンサートホールを使うことができる。
 しかし、人気と自分たちの達成度が等号で結ばれるとは限らない。世間の評判と自己評価の間には少なからず差異があり、賛辞によってむしろ悩みが大きくなることもある。
 東日本大震災の直後に、大きな被害を受けた陸前高田市の中学校の体育館で歌う機会があった。平日の昼間で若者はほとんどおらず、ロックミュージシャンの僕のことを知っている人は皆無と言ってよかった。マイクが一本しかない環境のこの場所で、何を鳴らせるかだけが、ミュージシャンとしての自分のすべてだと思った。驕りも卑下も捨てて、真っ直ぐに音楽を鳴らす以外になかった。それだけが、ダンボールで仕切られた避難所で休む人たちと僕の接点だった。
 あの日の体験に僕は救われ続けている。自分の音楽の拠り所が明確になった瞬間だったからだ。
 それはまた、厳しさでもある。いつでも、丸裸で音楽を鳴らす決意と音楽的な技術があるのかを、僕に問いかけてくる。

2022.10.26 朝日新聞朝刊『朝からロック』