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みかんの色の野球チーム・連載第7回

第1部 「青空の夏」 その6

 
 夏休みも、残り1週間になった。
最後の日々をなごり惜しむように、そして最後まで遊び尽くすために、私たち5人組は朝早くから行動をともにしていた。ブッチンはとっくに新聞配達のバイトを済ませている。
 港の近くの魚市場。そのすぐ隣の魚屋。道路を挟んで、そのまた斜向かいの駄菓子屋が、今日のファーストステージだ。
 私たち5人は、この夏最後の運試しをしようと、クジ引きに挑戦していた。
 5円玉を駄菓子屋のおばちゃんに渡して、細長いクジの束の中から、好きな1枚を抜き取る。緑色をした薄くて細長い紙を、口の中に入れて舐める。口から取り出した紙に「スカ」の2文字が浮かび上がったら、ハズレ。ハズレの景品は、ちっちゃな袋に入った甘納豆だ。
 もしも「大アタリ」の4文字が出たら、蛍光塗料が塗られて夜中でもピカピカ光るプラスチック製の戦車がもらえるのだそうだけど、少なくとも私たちの知る限り、この辺の子供たちでそれを手に入れた者はまだ誰もいない。
 我ら5人衆も、この夏休みの間、なんとか戦車をゲットしようと、幾度もチャレンジを重ねてきた。しかし、結局はズボンのポケットに甘納豆の袋を入れて、残念じゃったねー、また来てねー、というおばちゃんの声を後にして、店を去るのが常だった。
 よっしゃ、今日こそ!
 まず、ペッタンがポケットから5円玉を取り出しておばちゃんの手の平に落とし、どれにしようかなー、これだーっ、と気合を込めてクジの束から1枚を抜き、口に入れて取り出してみたところ、「スカ」。あああーと、うなだれた。
 2番手は、カネゴン。あれこれ迷った末にクジを引いて舐めたが、同じく「スカ」。
 3番手は、ブッチン。当たれーっと叫んでクジを口に放りこんだが、やっぱり「スカ」。
 4番手は、私。神様たのみます……、と念じたにも関わらず、とほほの「スカ」。
 最後にヨッちゃんが、5円玉をおばちゃんに手渡したそのとき、
「よう、何しよるんか?」
 と、店の外から声がした。
 みんなが振り向くと、男の人が立って、こちらを眺めていた。
半袖の白いトレシャツに、青いトレパン。右手にスポーツバッグを下げている。頭は、私と同じ丸刈り。真っ黒に日焼けした顔にかけたメガネの中の目はにこやかに笑っており、真っ白い歯を覗かせて、
「何しよるんか、ヨッちゃん?」
 その人はもう一度、声を出した。
「あっ、ユキにいちゃん!」
 クジを引こうとしていたヨッちゃんが、嬉しそうな顔で言いながら、男の人に駆け寄り、彼の手を引いて、店の中へ連れこんだ。
「あんのう、みんな。この人、ユキにいちゃんち言うて、俺の従兄弟。津高野球部の前嶋幸夫選手じゃあ」
 ヨッちゃんの口から飛び出した意外な言葉に、みんなは一様に驚き、
「ええー、ほんとー?」
「すっげえー」
「かっこいいー」
 などと、ささやき合っている。
 駄菓子屋のおばちゃんは、ニコニコしながらみんなの様子を眺めている。
「ユキにいちゃん、これから練習?」
 ヨッちゃんが訊くと、
「おお、そうじゃあ。猛練習じゃあ」
 前嶋選手が答え、
「ヨッちゃんは何しよるんか? クジ引きか?」
 そう付け加えた。
 するとヨッちゃんは、
「あっ、そうか! ユキにいちゃんに頼まあいいんじゃあ!」
 そう言って、私たち4人の顔を見つめまわしながら、
「あんのう、みんな! このユキにいちゃんはのう! すっげえクジ運がいいんじゃあ! 去年の正月の商店街の福引きで、1等賞の別府温泉旅行券、当てたんぞ! すっげえじゃろう!」
 かなり興奮気味にまくしたてた後、再び前嶋選手の顔を見上げて、
「なあ、なあ、ユキにいちゃん! 俺の代わりに、このクジ、引いて! 蛍光塗料の戦車、当てて!」
 大きな声で頼みこんだ。
 年下の従兄弟からのリクエストをニヤニヤ笑いながら聞いていた前嶋選手は、それではとばかり、腰をかがめ、クジの束に大きな手を伸ばした。そして、あれこれ迷う様子もなく、その中の1枚をサッと抜き取り、
「ほらよ」
 と、ヨッちゃんの手に握らせた。
 大きな深呼吸をひとつして、それを口の中に入れる、ヨッちゃん。
 数秒後、舌の上に乗せてクジを口外に出した彼は、ツバで濡れた細長い紙を指でつまみ、じっと目を凝らした。それから、満面の笑みを浮かべて、私たち4人にそれを順ぐりに見せた後、店のおばちゃんに差し出した。
「大アタリーっ! おめでとーっ!」
 威勢のいいおばちゃんの祝福のメッセージとともに、ピカピカの戦車が、ヨッちゃんに贈呈された。
「すっげえ……」
「すっげえ……」
「すっげえ……」
「すっげえ……」
「強運じゃあ……」
「強運じゃあ……」
「強運じゃあ……」
「強運じゃあ……」
 目の前で見せられた奇跡の衝撃に、私たちは顔を見合わせ、同じ呟きを繰り返すしかなかった。
 
「練習、見に来るか?」
 駄菓子屋を後にした前嶋選手の口から出た、思わぬ誘いの言葉は、夏休みの最後を有意義に過ごしたい子供たちにとって願ってもないことだった。
先日、正真和尚の話を聞いたときに起こった胸のときめきが、私の中で勢いよく蘇った。小嶋監督に会えるのだ! 新チームの練習を見れるのだ!
 津高グラウンドへ向かって大股で歩いていく前嶋選手に遅れを取るまいと、私たち5人は小走りに付いていった。高校2年生は、小学生6年生から見れば立派な大人に他ならず、進むスピードもまるで違った。
「ユキにいちゃん。新チームの対外試合、いつから始まるん?」
 ヨッちゃんの問いに、ずんずん歩き進みながら前嶋選手が答える。
「まず、9月の初旬に、大分県南リーグ。その次、中旬に、大分県の中央大会。そのまた次、10月の初旬に、九州大会の大分県予選。それから今年は国体が大分で開催されるけえ、夏の甲子園は1回戦で負けたけど、地元代表ちゅうことで津高が出場する。これが10月の下旬。それが終わったら、11月の中旬に、いよいよ九州大会。そこでベスト4以上の成績じゃったら、春のセンバツ甲子園に出場できる。絶対に頑張らんとなあ。年内はそれで終わりじゃあ」
「ユキにいちゃん、レギュラーになれそう?」
 再度の質問に、前嶋選手は、しばし考えこみ、おもむろに口を開いた。
「そうじゃなあ。頑張らんとなあ。絶対に頑張らんとなあ」
 晩夏の午前の日差しの中を進んでいく1人の高校生と5人の小学生の目前に、津久見市のシンボル、標高639メートルの「彦岳」の山容が迫ってきた。この山の名を校歌に刻む、津久見高等学校のグラウンドまで、あとすこしだ。私の胸の高鳴りは、ますます勢いを増していく。
 
 グラウンドのホームベースから、右の方に30メートルほど離れた草むらに並んで腰を下ろし、私たちは練習を眺めていた。
 照りつける太陽の下、夏の最後を歌い終わろうとするセミたちの大合唱。それを遥かに凌ぐ、選手たちの大きな掛け声の中で、ノックが放たれ、守備練習が行われている。向こうのブルペンでは、6組のバッテリーが並び、投球練習の最中だ。
「オーイッ! オーイッ! オーイッ!」
「オーイッ! オーイッ! オーイッ!」
「オーイッ! オーイッ! オーイッ!」
 野手たちの発する掛け声が絶え間なく響き、バッターボックスに立って傍らの選手からボールを受け取るたびに、ノッカーから鋭い打球が内外野へ打ち出されていく。
 サードへ、ショートへ、セカンドへ、ファーストへ。レフトへ、センターへ、ライトへ。それぞれのポジションに列を作り、捕球の順番を待つ選手たちに向かって、テンポのいい打音とともに間断なくボールが飛んでいく。
 サードへ、ショートへ、セカンドへ、ファーストへ。レフトへ、センターへ、ライトへ。内野から外野へ、内野から外野へ、内野から外野へ。
 私たちがここへ来て、もう2時間くらい経つのに、守備練習はいっこうに終わる気配がない。前嶋選手もずっとセカンドの位置に立ち並び、打球を好捕したり、捕り逃がしたりしている。
「オーイッ! オーイッ! オーイッ!」
「オーイッ! オーイッ! オーイッ!」
「オーイッ! オーイッ! オーイッ!」
 セミたちの鳴き声を掻き消すかのように、選手たちの掛け声はグラウンドに響き渡り、ノッカーは交代することなく、ボールを弾き出していく。あれが小嶋監督だろうか。ここからは遠くて、バッターボックスの人物の顔はよく見えないが、もしもそうだとしたら、恐るべき45歳の体力だ。
 そんなことを私が考えていたとき、右横に座ったペッタンが突然声を発した。
「おっ、ゴマダラカミキリじゃあ!」
 みんなが振り向くと、ペッタンが草むらから1匹の昆虫をつまみ上げ、左手の親指と人差し指の間に挟んでいる。体長3センチ、それよりも長い2本の触角。黒地に白い斑紋のゴマダラカミキリ虫は、みかんの木の枝や葉っぱを食い荒らす、害虫の中の害虫。津久見の農家の人たちを悩ませる、とても悪いやつだ。
「知っちょるか? こんやつの頭を引っこ抜いてのう、農協に持っていくとのう、1匹につき10円くれるんぞ。いい小遣い稼ぎじゃあ」(※注)
 得意げに説明しながら、ペッタンは、6本の脚を懸命に動かしてなんとか脱出しようともがく獲物の頭を、右手の人差し指で突っついた。そして
「引っこ抜いちゃろうか」
 恐ろしいことを言ったので、思わずみんなは
「うわ」
「やめれ」
「気色わりい」
「見とう無え」
 口々に反対の意思表示をした。
 それが彼をますます図に乗せたらしく、ペッタンは右隣のカネゴンの顔にゴマダラカミキリを突きつけ、
「ほうら、おまえが引っこ抜いちゃれ」
 ニタニタ笑いながら、そう言った。
「うわーっ! やめれーっ!」
 反射的にカネゴンが手で払いのけると、昆虫はペッタンの指の間からこぼれ、草むらの中に落ちた。
「あれ? あれあれ? あれれ?」
 慌てて草を掻きわけ、落とした獲物を探すペッタンだが、雑草の海は深く、もはや探しものは見つからなかった。私は、ホッと安堵した。
 そのときだった、グラウンドのバッターボックスから大きな声が聞こえてきたのは。
「よーしっ! 休憩じゃあーっ!」
 

(※注)本当の話である。当時のみかん農家は、ゴマダラカミキリ虫によるみかんの木の食害にそれほど悩まされていたのだ。昆虫好きの子供だった筆者には、とても真似のできないことだったが。


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