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みかんの色の野球チーム・連載第22回

第3部 「事件の冬」 その5
 
 
 ギギギーッ、ガシャン!
 用務員のおじさんの手で、正門の扉が閉められ、内側から鍵が掛けられた。
 他の生徒たちと同様に、休校になったばかりの学校から追い出された私たち5人組は、とりあえず商店街の方へ歩いていく。
「どえれえことに、なってしもうたのう」
 ペッタンが言い、
「ユカリはいったい、どげえしたんじゃろうか」
 ヨッちゃんが続けた。
「ふんっ」
 ブッチンが不機嫌そうに鼻を鳴らして、
「今ごろ、フォクヤンにさらわれて、ゴマダラカミキリみたいに頭を引っこ抜かれちょるわい」
 物騒なことを口にすると、
「ゴマダラの頭は、1個10円じゃあ。ユカリの頭を農協に持って行ったら、いくらの値段になるんじゃろうか」
 つられたペッタンが、とんでもないせりふを発したので、
「バカ。そげなことをしたら、殺人罪で死刑に決まっちょろうが。恐ろしいことを考えるんじゃのう、おまえどーは」
 カネゴンがそう言って、2人をたしなめた。
 恐ろしいこと。
 まさに、その通りだった。
 みんなと並んで歩く、私の心の中は、恐ろしさでいっぱいだった。
 大好きなユカリが、行方不明になった。
 それをとても心配し、悲しく思う気持ちは、もちろんある。
 だが、そんな気持ちよりも、今は恐ろしさの方がはるかに強かった。
 今朝の教室で、刑事さんが訊いたこと。
 昨日のユカリさんの様子に、どこか変わったところはありませんでしたか?
 その質問に答えるべき事実を、私は知っていた。
 ユカリの表情が、朝から冴えなかったこと。
そして昼休みに、東京に帰れなかったと泣き出したこと。
 この事実をちゃんと知っていながら、私はそれを刑事さんに伝えなかった。
 それは、刑事さんが怖かったからだ。
 ユカリと親密なことを、ブッチンたちに知られるのが怖かったからだ。
怖さのために、重要な事実を刑事さんに知らせぬまま、ユカリの捜索活動が始まってしまった。それが、私は恐ろしかった。
 私が知っている事実を隠したまま、警察や消防署や消防団や教職員組合の大勢の人たちから成る捜索隊が動き始めた。それが、とても恐ろしかった。
 やがて津久見じゅうが大騒ぎになり、テレビ局や新聞社なども報道に乗り出してくる。それが、たまらなく恐ろしかった。
 そして、最悪の場合。もしも、ユカリの命に関わるような事態が起こった場合。それは重大な事実を自分だけの秘密にしてしまった、この私の責任になるのだと考えると、気が狂いそうになるほど恐ろしかった。
 さらに、私は打ちひしがれていた。
 自分という人間の、情けなさに。
自分の身を守るために重要な事実を隠し、そのために今こうして恐怖にぶるぶる震えている、私という人間の、あまりの情けなさに。
 こんな私とは正反対に、ブッチンという人間は、なんと勇敢なのだろう。
ヒゲタワシから名指しで発言をさせられ、丸岡刑事に詰め寄られ、挙句の果てに担任の教師の暴言によって泣き出してしまった、佳代子。
 大好きな佳代子を救うために、教師と刑事を恐れることなく敢然と立ち向かい、説得力のある意見をきちんと述べたブッチンは、なんという男らしい人間なのだろう。
 それに引きかえ、この私ときたら……。昨日の昼休みに、目の前で泣いているユカリを慰めてあげることすらできなかったのに……。
 そのとき、並んで歩くブッチンの声がした。
「フォクヤンの防空壕に行ってみるか」
 その言葉に、みんなは立ち止まり、えっという表情で、彼の顔を見つめた。
「もちろん、人さらいち言われちょるフォクヤンじゃあけんど、今回のユカリの行方不明とは何の関係も無えかもしれん。じゃあけんど、やっぱりあいつは怪しいけんのう」
「俺どーの力で、ユカリを助け出すんか」
 ペッタンが訊いた。
「フォクヤンは、手強えぞ。あの丸岡っちゅう刑事が言うたように、先生とか警察に連絡をした方がいいんじゃねえんか」
 ヨッちゃんが忠告した。
「いや」
 首を横に振りながら、ブッチンが言った。
「今朝の教室で、ヒゲタワシのやつがどげな態度を見せたか、覚えちょろう。あんやつは、罪も無え佳代子に、無理矢理、発言をさせた。そのうえ、ユカリに友だちがおらんのは、佳代子が学級委員長の立場を悪用してみんなから仲間外れにしたけんじゃあっち、根拠も無えし、刑事の聞き取り捜査とは何の関係も無え、場違いなことをわめいた。それはのう、あんやつが焦っちょるけんじゃあ。自分が担任を務めるクラスから、生徒が1人、おらんようになった。しかもその生徒は、矢倉セメント工場長の娘。津久見のお偉いさんどーがみーんなペコペコ頭を下げよる重要人物の大事な一人娘じゃあ。それが突然、消息が分からんようになって、ヒゲタワシのやつは焦りまくっちょるんじゃあ」
 みんなは、じっとブッチンの話に聞き入っている。
「つまりのう、ヒゲタワシのやつは今、担任教師としての管理責任を問われる立場に追いこまれちょるっちゅう訳なんじゃあ。もしもユカリの身に何か大変なことが起こったら、あんやつにはダメ教師ちゅう評価が下されて、この先、学年主任やら教頭やら校長やらに出世していく道が閉ざされることになる。それはそれで大歓迎なんじゃあけんどの。もしもユカリが行方不明のまんまの状態が続いたら、あんやつのことじゃあ、こんどは何をしでかすか分からん。学級委員長の佳代子に自分の責任を押しつけて、もっともっとひでえ仕打ちをするかもしれん。つまりのう、ヒゲタワシっちゅうやつは、信用のできん人間なんじゃあ。信用のできん先生には、なーんも任せられんのじゃあ」
 彼の話に耳を傾けるみんなの表情が真剣みを帯びていき、時おり相槌なども打っている。私もまた、先ほどからの恐怖心を忘れ、ぐいぐいと話の中へ引きこまれていた。
「じゃあけんのう。俺どー5人は、たった今から、特別捜索隊を結成する」
 ブッチンの口から飛び出した、意外な名称に、みんなは敏感に反応した。
「特別捜索隊かあ。カッコいーのう」
 と、ペッタン。
「ウルトラマンに出てくる、科学特捜隊みたいじゃあのう」(※注)
 と、カネゴン。
「俺どー5人の力で、特別に捜索をするっちゅうことじゃあのう」
 と、ヨッちゃん。
「みんなで、力を合わせて、ユカリを捜し出すっちゅうことじゃあのう」
 と、私。
 すると、ブッチンは、
「もちろん、俺どーが捜し出すのは、深大寺ユカリ。じゃあけんど、これはユカリのためじゃあ無え」
 そう言って、4人の顔を見つめまわした後、
「正義のためじゃあ!」
 彼は大きな声で、話を締めくくった。
 正義のために結成された特別捜索隊は、商店街の通りの路上に、記念すべき第一歩を踏み出した。そして隊列を組んだまま、ザッザッとしばらく歩き進むと、いつもの通学路を東の方向へ曲がった。
 5人が目指すのは、八幡様の神社の境内。あの怪老が住む防空壕跡だ。
 
 毎年、夏祭りの季節になると、敷地の中にわずかな隙間も残すことなくいろいろな出店がびっしりと並び、大勢の見物客や香具師たちで賑わう神社だが、さすがに初詣も終わった厳寒のこの時期、私たちの他に人影はなかった。
 風に吹きさらされ、地面から舞い上げられて運ばれた多くの枯葉が、境内の外れに位置する土手に開いた、真っ黒い穴の入り口の周辺に散り敷いている。
 茶褐色の落葉は、穴の横に置かれたリヤカーの荷台にも厚く降り積もり、2つの車輪のゴムタイヤもまた、地面に接する部分の半分くらいが朽ちた絨毯の中に埋没している。
 その光景は、このリヤカーが久しく使われていないことを意味していた。
 以前に母から聞いた話の通り、フォクヤンは彦岳の山中にあるという炭焼き小屋へ、すでに移り住んでしまったのだろうか。
「特別捜索隊、行動開始!」
 それでもブッチンは、私たちに威勢のいい号令を発し、それとともに5人の隊員たちは防空壕跡の入り口を取り囲んだ。
「やるぞ」
 そう言うとブッチンは、真っ暗な穴の奥に向かって身構え、顔に両手を添えて大声を振り絞った。
「こーらっ、フォクヤン! 出て来ーいっ! 人質を連れて、出て来ーい! 出て来んと、こないだみたいに蹴っ飛ばすぞーっ!」
 ブッチンが威嚇のメッセージを送りこんだ後も、穴の中からの反撃に備えて、私たちはずっと戦闘態勢を崩さなかった。
だが、いくら待っても、敵からの反応はない。
 そこで、こんどはペッタンが進み出て、穴の奥へ大声を放った。
「こーらっ、フォクヤン! おまえはすでに包囲されちょーる! 抵抗しても無駄じゃあぞーっ! 今すぐ、人質といっしょに出て来ーいっ!」
 しかし、いくら待っても、やはり何の反応もなかった。
「ここにはもう、おらんみたいじゃあのう」
 ヨッちゃんが言うと、
「捕まるのを恐れて、どっかに逃げ隠れたんじゃろうか」
 カネゴンが返した。
 そして最後に、私が発言をした。
「フォクヤンは、彦岳の山小屋におる」
 その意外な言葉に4人が振り向くと、私は母から聞いた話を、彼らにも聞かせた。
 フォクヤンという呼び名の由来、生い立ち、家出、山中生活、炭焼きと廃品回収の兼業、真っ黒な容姿の理由、人さらいという噂の捏造……。母から入手した情報のすべてを、彼らにも提供した。
 私が話し終えた後、彼らは無言のままだった。
 数奇な人生を歩んできた怪人のことを、自分たちの頭の中にどのように位置づけ直し、整理すれば良いのか、4人は考え続けているようだった。
 そして数分後、口を開いたのは、ブッチンだった。
「フォクヤンが人さらいっちゅう噂が、ほんとうかどうかは、実際に確かめてみたらいいことじゃあ」
 そう言うと、彼は、傍らのヨッちゃんに向かって、
「悪いけど、時計を見て来てくれんかのう」
 と、頼みごとをした。
 それを受けたヨッちゃんは、
「おう」
 と返事をし、さっそくその場から走り去っていった。
 私たちは誰も、腕時計を持っていない。ブッチンが口にした「時計を見て来て」という言葉は、市役所の建物の外壁に設置されている大時計を見て、現在の時刻を確認してきてほしいという意味を示す。
 市役所のその時計は、この神社の向こう側の階段を降りた位置から見える。ヨッちゃんの俊足であれば、戻ってくるまで1分もかからないはずだ。ブッチンが彼に頼んだのも、もちろんそれを考えてのことなのだ。
 案の定、すぐに帰り着いたヨッちゃんが、告げた。
「4時40分じゃあ」
 その報告に、しばらくの間、腕組みをして思案をめぐらしていたブッチンは、やがて、4人の顔を見まわしながら、大きな声を上げた。
「我らが特別捜索隊は、夜の部の活動に移る! これから各自は、いったん帰宅し、自転車に乗って、午後6時30分に再度集合のこと! 集合場所は、彦ノ内橋! 各自、水と食料と懐中電灯を必ず持参のこと! 滑りにくい靴を履いてくること! 防寒の備えも、欠かしてはならない!」
 私たちが頷きながら聞いている中、特別捜索隊のリーダーは、最後の大声を発した。
「目的地は、彦岳!」
 
 

 
(※注)ムラマツ隊長(キャップ)、ハヤタ隊員、アラシ隊員、イデ隊員、フジ・アキコ隊員、ホシノ少年……懐かしい!


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