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まっすぐ生きる


年を取っていくにつれて「上手な生き方」を覚えていく。小学校、中学校では毎日のように喧嘩してたりしたのに、今では我慢したりその場しのぎで作り笑いを浮かべられるようになったり。

それは自分と波長の合わない人を避けるのに役立つと同時に、仲良くありたい人とも距離を生んでしまうものかもしれない。

最初はいつだって小さな齟齬だ。少し気まずくなったりするけど、一旦やり過ごしてまた普通に戻る。それがラクだし、一瞬頑張ってそれが過ぎ去るのを待つ。

でも完全に普通に戻ってるなんてことはなくてどっかで引っかかっている自分がいる。我慢にはいつだって限界があって、そこを越してしまうとあんなに仲よかった友達と特に喧嘩もなくただただ離れていってしまうなんてことが起こる。

ぼくはこれをお笑い芸人のコンビに垣間見れるなと思っている。コンビ間でじっくり話す機会が取れていなかったりすると、お互いへの不満が溜まって、気持ちを相手に直接言わずにやり過ごしてしまう。コンビという距離の近い関係だからこそ正面を向き合って話さなければいけないはずが、いつの間にかなんとなくでやり過ごしている。お互いを十分知った気になっていてはダメだなと思う。

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生涯を通して仲良くしていく人たちとはどうしても距離が近くなる。だからこそ、その場その場で我慢をするのではなく、相手にモヤモヤすることがあれば話したほうがいいと思うし、逆もしかりだ。

必要なのは我慢してうまくなんとなく乗りこなしていく力なんかではない。我慢には必ず限界があるから。必要なのはモヤモヤを率直に丁寧に伝える力だ。

それはあくまで相手と考えをすり合わせるためであって、相手の考えを否定する目的ではない。いかに適切な言葉で伝えられるか。

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全員と真正面から向き合う必要はない。うまくかわして、その場しのぎをすれば良い人ももちろんいるだろうし、むしろそういう人の方が多いかもしれない。

でもそれをするのは大切にしたい人、仲間に正面から向き合うためのエネルギーを割くためだ。

オリンピック選手のパフォーマンスのように、いつだって全力は美しいのだ。

読んでいただきありがとうございました。