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ばあちゃんの戦争

2014/8/13 記
 今日から盆休み3日を含めて5連休だ。この時期になるとテレビも自然と戦争の話になってくるね。
 しかし、この戦争については、もう実際に体験した人の話を直接聞けることもなくなってきた。
 勿論、俺も戦後の生まれだしね。 

 世界のどこかでは今日も戦争や、内戦、そしてテロラストにより、多くの死者を出しているというのに、日本は戦後の平和を守り抜いている。幸せなことだ。
 俺の大好きだったばあちゃんは地震が来るとすぐに仏壇の前に座り、怖がってお経を唱えた。
 どうしてそんなに怖がるのか不思議だったが、ばあちゃんは関東大震災を体験している。
 竹藪が根を張った山へ逃げて難を逃れたと聞いたが多くの死者を見ている。
 戦時中もそうだ。
 小さかった俺のお袋をおぶって台所で洗い物をしていると、突然空襲警報が鳴り響いた。急いで逃げる支度をするものの、屋根を突き破り焼夷弾が落ちてきた。床に突き刺さったまま火がつかなかった事が不幸中の幸いだったが、あまりの驚きに何も持たずに外へ飛び出すと多くの人が逃げ惑う中、目にしたのは、先ほどの爆発で吹き飛ばされた人たちが焼けこげてあちこちの木にぶら下がっている光景だったらしい。
 その瞬間、ばあちゃんは腰が抜けて座り込んだまま立てずに、もう死を覚悟したらしい。
 そこへ近所のおじさんが
「おい、何してんだ早く立て!」
 と、思い切り背中を叩いてくれた。すると火事場の馬鹿力なのか、シャンと立つことができて運良く逃げられたとか。
 そのおじさんのことを命の恩人と言っていた。
 今は平和でも、ばあちゃんの時代は死と隣り合わせに生きてきたのだ。生きるか死ぬかは運でしかなく、やはり仏壇に祈るしかなかった時代なのかもしれない。
 小さい頃、震えながら仏壇に向かって手を合わせるばあちゃんを見て笑ったことが、今は少し恥ずかしい。

PS 優しかったあのばあちゃんに夢でもいいから会いたいなあ。
でも今の俺では合わせる顔はないかな。ちゃんとするからね、ばあちゃん。

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