口で言うほど簡単じゃない
2014/12/26 記
よし、やっと最後の作業が終わった。
もう2度とこんな作業をすることがないよう自分に言い聞かせたよ。
そして今日、郵送で衣類が届いた。もちろんお袋からだよ。
あれほど上着とズボンと財布だけでいいと書いたのに、UNIQLOに行ってんだな。
Gパン、ダウン、そしてTシャツにオープンシャツ、ハンカチ、ニット帽、手袋と、マフラーまで。
用紙だけでまだ実物は見ることができないが、使わないものは荷物になるだけじゃないか!
…なんてまた、自分ごとの都合を思ったりする。でも、さすがにお袋らしい。愛情を感じる。
それ以外の何者でもない。
最後の最後でお袋に迷惑かけてしまった。
十分に恩返しができなけりゃ生きてる価値もない俺だ。
ところでお袋。ばあちゃんに似てきたよ。やっぱり親子なんだな。
顔とかじゃなく、物腰や人に対する態度、物の考え方なんかが。
ばあちゃんが死んだのは77歳の時だ。弱々しくて、道でトラックがそばを通るのも怖がっていて、手を差し伸べてあげなけりゃと、いつもいたわってきた。
当時のお袋はまだ若く、バリバリと仕事をしている強い母親だった。
しかしそのお袋もあと3年であの頃のばあちゃんの歳になる。
どうしても強い母親のイメージが抜けないのは、ただ自分がいつまでもそうあって欲しいと願っているだけのことで、全く自分勝手に甘え続けたい情けない思いからなるのだろうか。
あの頃、心配で放って置けなかったばあちゃんの話し方、誠実さ、歩き方、そしてあの弱々しい立ち居振る舞いの全てに今のお袋が重なるよ。
もう、俺が言いたいこと言っても、跳ね返してくる力もなく、ただ悲しくさせるだけなんだね。
あの頃、ばあちゃんにはしてやれず、後悔したことが、お袋には絶対ないように頑張るよ。
えっ?
口ではかっこいいこと言えるって?
ああ、そう言われるとちくしょう、胸にズキンと突き刺さるものがあるけど、それも本当のことだよな。
まあ、見ててくれ
PS
今の俺を見てみろ。
東京にお袋の遺骨を引き取りに行ってやっと一緒にいることができてる今の俺を。
お袋が逝く時にそばに居られなかった役立たずじゃないか。
あの時の決意なんて、屁の役にも立たなかったのが現実だ。
俺はそういう薄情な男なんだ。
昨日、疎遠になってたオヤジのことで岡山の市役所から手紙が来た。
ガンで余命宣告6ヶ月。骨になった後の相談事だ。
すぐに電話したが通じず、デイサービスにかければ繋いでくれるというのであちこち掛け回した。
親父としては家族を捨てて出て行った立場だ。今更顔向けできないと電話口に出るのを避けているのか、ほんとに具合が悪いのか。
伝言を頼んだ。
骨は俺が拾うから心配するな。何があっても親子には変わりがない。近く必ず会いにいくから頑張れと。
また俺は口だけの男になってしまうのだろうか。
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