食中毒の真相

ガンと戦った人たち

2014,2,16
 清ちゃんはがんを克服してくれたから本当によかった。
 でも俺の周りには、ガンに勝てずに、この世を去った人もたくさんいる。
 懲役でも、そんな無念のまま逝った同囚は何人もいる。
 俺が35歳の時、甲府の8工場にいたとき出会った板垣さんは、強いイデオロギーを持った人だ。
⁺ 紋付袴に日本刀を引っ提げて首相官邸にのりこんだり、朝日新聞社に猟銃もって立てこもったりと数々の武勇伝のもちぬしだ。

 作業中よく俺の前でしゃがみこんでいた。
「大丈夫ですか。」と聞くと、
「「いや立てないというか・・・たちたくない?」。こんなことを言っては医務診療を避けていたようだが、すぐに八王子医療刑務所に移送されて、その後返ってくることはなかった。娑婆で逢えること楽しみにしてたんだけどな。

同じく甲府で、4工場にいるとき、俺は朝になって過去最高の8度8分の発熱でふらふら。
工場からそのまま医務へ。
 そのとき、満期1か月前の、田村さんも一緒だった。医務の待合室でもう一度体温計をつかいながら。「田村さんも熱出ましたか」・・けろっとしている田村さんの顔は熱があるように見えない。
 なのに田村さんの体温計は40.5度「ずうっと41,42とかだったから、今熱があるように感じないよ。」なんて言ってる。驚いた。

 先に診察している田村さんをちょっと覗くと。
「娑婆に出てから」とかなんとか言ってる。するとオヤジが
「ばかやろう!お前には時間なんかないんだよ」そのまま八王子に連れていかれてやはり帰っては来なかった。

 こんなこと清ちゃんの手紙には書けなかったよ。
 頑張っても勝てなかった人もいるなんて。
 なのに清ちゃんはがんを消滅させた。改めてすげえ女だ。

彼女の今後の健康を祈る。

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