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このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない

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土地を購入して10年、構想10年。そして、2002年7月に東シナ海を見渡す山に全室露天風呂付き離れの温泉旅館『石山離宮 五足のくつ』をオープンすることができました。オープンするま…
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#天草旅館

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その10.

『幸運の女神』 私は、25歳くらいの頃、1987年頃から、 天草の下田温泉一帯で旅館建設用地を…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その9.

『Hideaway』 その頃、アメリカでは、 「Hideaway:ハイダウェイ」という言葉がもてはやされ…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その8.

『部屋から海が見えますか?』 「天草で一番の御馳走の自信あります」のコピーと、 その実践…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その7.

土地の力あれは、たしか二度目のリスボンだったと思う。 滞在していたメリディアンを朝早く出…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その4.

 『ポルトガルの船乗りたち』 ポルトガル・リスボンのバイロアルトという街は、 いつ行って…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その3.

『自分のアタマで考えたことに従うこと』 当時、タウンページは福岡市を中央、東、西と3地…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その2.

『理不尽な事象』待ちに待ったタウンページの配布時期となった。 ドキドキした。 電話は鳴るのだろうかー 自分の単なる妄想ではなかったかー 私の心配を打ち消すかのように待ちに待った電話が鳴った。 受話器を取ると、 「おたくは、天草で一番なんですか」 「はい、そうです」と答えると お客様は笑いながら「じゃ、おたくに予約するわ」とお答えになった。 それからは、母の言葉を借りると 「伊賀屋創業以来の予約電話の多い日々」が続いた。 私は、旅館の仕事がめっきり楽しくなり、

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その1.

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない   ~その1 これまで「このこと…