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このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない

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土地を購入して10年、構想10年。そして、2002年7月に東シナ海を見渡す山に全室露天風呂付き離れの温泉旅館『石山離宮 五足のくつ』をオープンすることができました。オープンするま…
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#五足のくつ

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その9.

『Hideaway』 その頃、アメリカでは、 「Hideaway:ハイダウェイ」という言葉がもてはやされ…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その8.

『部屋から海が見えますか?』 「天草で一番の御馳走の自信あります」のコピーと、 その実践…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その7.

土地の力あれは、たしか二度目のリスボンだったと思う。 滞在していたメリディアンを朝早く出…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その6.

『サグレスの国民宿舎』 ポルトガルにはポサーダ、 スペインにはパラドールと呼ばれる国営の…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その5.

『リスボンの日本展』 私は、ポルトガル・リスボンのサンロケ教会で、 この教会にひと月滞在…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その4.

 『ポルトガルの船乗りたち』 ポルトガル・リスボンのバイロアルトという街は、 いつ行って…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その3.

『自分のアタマで考えたことに従うこと』 当時、タウンページは福岡市を中央、東、西と3地区に分けていて、 私は、当初、中央版のみを申し込んでいたが、 月当たりの広告費は7万円ほどではなかったかと思う。 けっこうな金額だ。 だが、予想をはるかに超えるお客様にお越しいただいた。 次の年には、福岡市東版、西版を申し込んだ。 さらにその翌年以降、筑後版、北九州版、 これに加えて、熊本市版、熊本北地区版、熊本南地区版にまで広告域を広げた。 もしも私が、「わずか10室の旅館がこの

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その2.

『理不尽な事象』待ちに待ったタウンページの配布時期となった。 ドキドキした。 電話は鳴る…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その1.

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない   ~その1 これまで「このこと…