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『ともに学び、ともに成長する宿』詳細

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とは福沢諭吉の言葉。人々は平等で生まれてきますが、それからが重要だと思います。物に応じて方無し、融通無碍、ともに学ぶことで、私たちは成長する事を目指します。

はじめに

三田藩の九鬼隆義は、家臣の川本幸民を通じ福沢諭吉と親交を結びました。
三田から多くの若者が慶応義塾に入学し、諭吉も三田に来ました。
そして諭吉は、有馬の温泉で泳いだという記録が残っています。
(現在の御所坊の浴場部分)
隆義は、諭吉に「これからは商売に生きるべき」と言われて開港当時の神戸に進出し、志摩三商会という会社を興し、外国人宣教師たちと交流し、人材育成を行いました。

今までの取り組み

子供の頃、全くと言って良いほど勉強はしなかった。性の目覚めの様に何時かする気になるだろうと思っていたぐらいでした。

特に古文や漢文。そして日本史は大嫌い。理由は普段習っている漢字では読めない、このようなものが何に役に立つのか、面白いかわからなかった。また日本史などは答えがわかっていても漢字で書けないと、点数はもらえなかったので、余計に悔しくて嫌でした。

無方庵との出会い

御所坊をリニュアルする際に漢詩でイメージソングをつくりたかった。
全く苦手な世界で何のとっかかりもなかった。愚痴半分、ある写真家に相談したら、繋がったのが無方庵の号を持つ、綿貫宏介氏でした。

以来、漢字や漢文や歴史等、幅広い氏の知見を得ました。
御所坊のマークとして使用している“車輪”は、老子が無用の用の説明の為にあげたものです。

スポークが集まって車輪が出来ますが、真ん中に車軸を通す為の穴が開いていないと車輪としての役には立ちません。
つまり教えを受けようと思うと、受け入れる為の空いているスペースが必要だという事です。
つまり学ぶ姿勢がなければ、ダメだという事を知ったのです。

ホテル学校

阪神淡路大震災の翌年から六甲アイランドにあった駿台のホテル学校で、週一回授業を受け持っていました。それは8年間ほど続きました。

必要は発明の母と言いますが、週に1回90分の授業を行うという事は勉強しなければなりません。学ぶ気にならないと何も学べません。
そしていかに学ぶ気にさせるかが重要だと経験しました。
その時の経験が現在の基礎になっています。

また当時の生徒達が、今も御所坊の中心で活躍してくれています。

おもちゃ博物館

“ものづくり”を教える為に玩具作家たちと有馬玩具博物館を始めました。
オートマタと呼ばれる現代からくり人形のコレクションが自慢です。

しかしオートマタを作り、生計を立てられる作家は世界でも30人程度しかいません。なぜなら、面白いモノをつくる右脳の力と、動かすメカニズムをつくる左脳を両方同時に使える作家は極少ないからです。

グリコのおまけの作家 加藤祐三の作品

このオートマタを通じて、子供たちにモノづくりの重要性を伝えるのを目的にしています。

宿文化研究学会・日本味の宿

日本には多くの人が憧れる名旅館と呼ばれる宿があります。
その中で志を同じくする宿と連携して、観光や地域の宿の在り方等、諸問題を研究し、ともに学びともに成長しようとしています。

宿文化研究学会(12軒が加盟)

日本味の宿(36軒が加盟)

現在の取り組み

観光業の特に宿は人材が重要です。
人材を確保し、スキルアップの向上を図る必要があります。
特にサービススタッフの仕事はマニュアルがあれば簡単に出来そうですが、色々なケースに遭遇します。それに対応できるのが本当の意味でのサービスであり、日本の“おもてなし”です。

またお客様は国際化してきています。それに伴いスタッフも国際化しています。単に日本文化を押し付けるのではなく、興味を持ってもらって、学んでいただく必要があります。そのような場をもうけ、国際的に通用する宿にしていこうとしています。

遠足や研修などの機会を設けて、近郊の都市や観光地を学ぶことや、食材などの産地や製造場所に足を運んで学ぶことも行っています。
その事で、より料理の美味しさや歴史文化をお客様に伝えることが出来ると考えています。

龍野の末廣醤油さんで薄口しょうゆの勉強会

そしてそれらの中から何か気付きを発見し、多様な視点で提供するプランを作成し、販売する事で、学ぶ楽しさやモノを創る楽しさを皆に実感してもらいたい。そして最終的にはスタッフがそれぞれ有機的に結びつき、ともに成長していけることを目指しています。

2030年に向けて

SDGsの目標に掲げています下記の3点の取り組みを達成したいと考えています。

大きな会議場を借りて全員参加の勉強会

・環境に配慮した取組
・人にやさしい取組
・地域と共に歩む取組


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