見出し画像

未完成・及び・未投稿シリーズ①

さて。たまにはこんな話題で・・・。

「地上波TVドラマ」

最近気が付いたのだが、どうやら歳を経ると、嗜好というものは変わるものらしい。

TVドラマをたまに観たりする。

有り得ない事だ。

思い起こせば若さ故か、数十年前なら自己世界観を頑なに貫き通す事で、(実は脆弱な自己世界への、外界侵食を怖れる事による自己防御なのだが。)余計な情報は排除し、時には必要以上に、対象事案を激しく爆撃したものだが・・・さてさて。

そんな守って得する事など、これっぽっちの意味も無い、自己概念などに気を囚われず、リラックスしてTVドラマを観たりしながら過ごしていると・・・おやおや、あらまぁ。

実に精神的面倒皆無なんだな。

その上、鉄壁の拘りルールで自分を縛らなくなった分、エンターテイメントを前より気楽に楽しめる様になった気もしたりする。

元来、TVドラマの類など、わざわざ時間を割いて観たりしない方だったのだが、今年になり何故だか家で目にする機会が増えてきたのも、大きな要因だ。

まぁ、何の事はない。
子供達がTVドラマを好んで観る様になったので、横目感覚で目にする様になった訳だ。

これがその何というか実に新鮮。

映画や配信ドラマと違い、地上波TVドラマの哀しい宿命・・・視聴層を固定出来ない分、表現方法や配役など厳しい制約に縛られざるを得ないのだが、中にはタフなスタッフもいるもので、「少しでも自由に表現しよう!」と工夫を凝らした作品があったりする。

最初は「斜に構えて見始める」のだが、ドラマが最終回を迎える頃になると、駄作でもモニターから溢れ出る制作者側の作品愛が強かったりすると「うーむ?面白かったかも?」と、なったりする。

とは云っても自発的に観ている訳では無いので、視聴後の「日常生活の中で余韻に浸る」機会は圧倒的に少ないのだが、一話完結モノに上手く「終盤への伏線」などが絡まれていたりすると、普段の生活の中で、「ふと」そのドラマの続きが気になり、暫く想いを馳せたりもする。

まぁ、制作者側の策略に、まんまと嵌まった様に見えるが、こちとらそんな事、百も承知乃助。
つまり自分で分かっている段階で、真から嵌まってはいないのだよ。君!(ホントか?)

そもそも最初から期待値ゼロでの視聴スタートなので、ストレスの大元となるマイナス要素が無い分、精神的余裕があるというだけの事だ。

そんなTVドラマだが、やはり観るのならオリジナル作品の方が好みだ。
ストーリー、脚本、画角、配役、音響、サウンドトラック・・・
作り手の「工夫」や「情熱」などのパワーが大きければ大きい程、見応えがある。

しかし、映画並みの制作費で作られた配信モノのオリジナルドラマが世界中で大当たりしている2019年現在。
そんな潤沢な制作費を当てれる程、斜陽期を迎えた地上波に余裕がある訳も無い。

だからなのか、ある程度の視聴率を確保出来る所謂「原作付きドラマ」が物凄く増えてきた。

う〜ん。
気持ちは分かる。
だがしかし、小説原作の様に視覚的要素を自由に出来る場合はまだしも、漫画原作は視覚要素が物凄く大きく、リスクも更に強大なモノになる。

漫画原作ファンのキャラクターへの思い入れは、かなりのウェイトを占めるので、配役が原作のキャラクターのイメージから逸脱すればする程・・・醒めるのだ。

また、設定やストーリーなどを独自の展開にして、最早「原案」にしたとしても、元の原作を知っていれば知っている程、出来の悪さに失望して・・・萎えるのだ。

・・・のが関の山なのだが、そんな中、今年の頭に思わぬ大ヒットを飛ばしたドラマがあった。
80年代、週間少年誌で連載されていたツッパリ漫画を原作にしたアレだ。

「えっ?今時?!」
と、最初は訝しんでいたのだが、これが日本中の子供達に大ヒット!(もちろんウチもw)
いやはや実際、何が受けるかわからんもんだ。

・・・さて。
つらつらと駄文を書き連ねて(これは手書きではないので、「打ち連ねて」が正解。)きたのだが、何が言いたいかというと、好きな漫画を原作にしたテレビドラマがあり、「見るべきか、見ざるべきか」考えアグネス・ラム・・・あぐねているうちに、終わってしまったという話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?