30分ぶっ通しで書き続けて正しいについて考えまくるけど結論は特に出さない。

さあ、昨日同様時刻は23時39分。昨日よりも遅い時間にスタートです。とはいえ、昨日は好き勝手書いていたのに対して今日は正しいということ、について考えたいだけの手を動かす作業です。

正しいというのは何か、これをYouTubeを見ている時にDaigoから投げかけられたわけです。切り抜きを見ていたのですが、質問の内容は、「正しい選択ってなんだろう?」というもの。

確かに正しい選択ってのは私にもわからない。だって、選択したことに対して後悔しまくりの自分がいるので。例えば就職だってそうですよ。自分で選んだ道を辿ったところ、意外とその山楽しくないとか得られるものが少ないとかなんかわかんないみたいな状況なんです。だから上京しようとか考えているそんな上京。しかし金がない近況、まさに追い込まれた心境。

そんな時父親からカンパをいただけるとの打診。お父上様本当にありがとうございます。このご恩必ず三年以内に返します。しかし、三年は多分安月給なので勘弁してください。

と言ったところで、お金もないのに上京するというこの選択。皆さんならどう思いますか?しかも親に迷惑をかけることになるという条件付きで。私がまともで真面目なら、めちゃめちゃ辛い。だから、めっちゃ辛い。

しかし、Daigoが言っていたことは違う。正しいというのは結果論らしい。つまり、この先何が起こるかわからないんだからどっちの選択が良いというのは今この段階では判断できない。

じゃあどうするべきかというのが本題で、その選択を身のあるものにするために、努力を惜しまない。そして、結果的にその決断を正しかった、と言える様になるまで突き詰めるべき、とのことです。例えば収入でもそうだし他の結果にしてもそう。

何かやったことに対してやり切って、後悔しないほど、自分が胸を張って正しかったと言える様になるまで努力を続けること。それが唯一の正しい決断なんだそう。一部私の拡大解釈がはいっているけど、そういうことらしい。

さて、ということであれば遠慮なく決断しましょう。とにかく今の仕事はやめる。理由は、実はなんとなく。給料が安いとか仕事内容に満足いかないとか、やっぱり東京に行きたいとか色々めっちゃある。だけど明確な答えはない。とにかく環境を変えてみたいのだろうか。

結局私は新しいチャレンジに飢えているのかもしれない。そして新しい知識の吸収に時間をさきたいのかもしれない。そうじゃないと、わざわざ平日のこんな時間にブレインストーミングなんてしないでしょうね。

時間をさく、あるいは時間を掛けるということなんですけど、賭けるっていう字でもいいのかもしれない。ああ、ここからは若干正しいからそれるんです。

時間を使うとかそんな感じの言葉だと、あるものを使用しちゃっている感じになるんですけどね。賭けるっていう言葉にすると、取り返したい欲出てこないですか?だって、ギャンブルだもん。

もしかすると時間をかけて何かをすることはすべてギャンブルに近いのかもしれない。だって結果が出るかはわからないですから。あとはそのギャンブルが兌換率がいいかどうかの問題。海外のカジノぐらい良いのか、はたまた宝くじ程度なのか。それはなんとなくわかるので、前者に賭けていきたい。いやもっというと、兌換率150%ぐらいのところに賭けていきたい。

となると、やっぱり勉強ってことになるんですかね。勉強って時間だけでできるし、大体いい結果につながることがおおいので。あとは身の回りの整理整頓とかですか。実は部屋をきれいにすることと自己肯定感は密接な関わりがあるとのことですよ、奥様。

それはどうも、部屋に友人を招くときの感覚らしい。大事な友達が来るのに部屋を汚したままでいるなんてあり得ない。でもそれが自分のことになると急に結構雑に扱ってしまう。それでは肯定感なんて上がらないんですって。

そりゃそうだよな、自分が自分で雑に扱っているんだから。そんなもん自己肯定感なんてあがるわけがないんですよ。となると、私はこれ以上自己肯定感を上げるためには部屋を片付けるといいんですね。

と考えると、部屋の片付けの兌換率はめちゃめちゃ良さそう。だってリソースは時間しかかからない。あと少しの掃除用具。家にないと買いにいかなきゃいけないので、その時はお金というリソースが必要です。

そうやって自己肯定感を高めていけば自信につながるんでしょうね。今の私は自信がある様でないものなので、そこを鍛えていきたい。そうすれば、自分の行動は正しいと言い切れる、そんな男になれると思うのです。

ようやっと正しい、という話になったところで、大人のいう、もしくは周りの人のいう正しいってのはなんなのかっていう話です。大体多くの人が正しいことをしようとするんですけど、正しいって本当はなんだろう?

例えば、極端な話人を殺すことは正しいか、という問いに即答できる人はいるかもしれない。しかし、即答できない人も中にはいると思う。私は即答できない。億が一、私の大切な人を奪うそんな輩がいれば容赦無く私は行動する。しかも、それが正しいと信じるでしょう。

やっぱり正しいってのは結果論でしかないのかもしれない。だから大人の決断する正しいっていう基準はあくまで帰納法的なんでしょうね。今までがこうだったから、これからもこうあるべきみたいな。確かに日本の判例主義的なところに合致する。

昔こうだったからこれからもこうするのが正しい、ってのが崩れてる今の日本では、なんとも言わんとしがたいですがね。例えば昔はテレビが子供の教育の妨げになるとか言われた。アニメや漫画は小説に比べて想像力を生み出せないとか。

いやいや待ってください。それを言い始めたら古代ローマの時代は本を読むこと自体悪でしたがな。だって他の人の考えをまるぱくりできちゃうんだもん。ていう世論だったらしいですよ。ソースはいつも通り漫画。確か、小学生が総理大臣になるやつだったと思います。

その当時と比べると人々の想像力は衰えたかと聞かれれば、おそらく変わっていない。衰えてはいないけど、方向性は変わったでしょうね。当時じゃあ人の生き方とか人間とは何かみたいなことが大事でしたから。今となっては考えるべきってそういう広いところよりも、自分が何をしたいか的なところ。全より個が注目されている気がする、あくまで主観ですけどね。

そういえば学生時代に面白かったこと。それはグローバリズムが進行すると今度はナショナリズムが育つっていう話。私が学生の頃、アメリカの大統領はトランプさんでした。彼のマニュフェストはかなりナショナリズム強め。国境に壁を作るとか言ってましたよね。

それはいいとして、面白いってのが外との繋がりに力を入れているはずの現代で、内側内側に注意を向けている、そんな人が大統領として国のトップに立ったところは非常に興味深い。

例えば自分たちに置き換えたとき、スマートフォンがあれば他人と繋がれますけど、その繋がりに疲れている人がいると。他人とつながることで自分に帰ってくるわけですよね。これはなかなか面白い。結果的に内側に完結しているわけですから。

さて、先ほどからスマートフォンが鳴り止まぬ。めちゃめちゃ気になる女の子からのライン。しかし脈なし。かなりきつい。こう、情緒を弄ばれるの本当に心に刺さる。場合によってはいい意味で。その子に格好いいところ見せたいと思ってダイエットを始めたら見事に二週間で2キロ落ちましたよね。一週間に1キロ落ちれば再来年には私はいなくなる計算。皆さん良い終末を。

そう、この台詞は仮面ライダーオーズに出ていた敵キャラのセリフだったんですけど、なかなか強烈なキャラクターだったので忘れられません。そんな仮面ライダーオーズは10周年。今新しい映像作品が着々と準備されていますので、完成したら是非みにいきましょう。お兄さんとの約束ですよ。

さあ、残すところあと1分。もはや書くことがないのですがここからいかに絞り出せるかが腕の見せ所。そして絞り出したものをきれいにトッピングして初めて丸いケーキの出来上がり。ベベに食べてもらいましょう。

そう、魔法少女まどか☆マギカも今度映画やるみたいですね。私はマギレコを履修してないですがついていけるかしら。まあ、関係なくみに行くんですけどね。

そんなまどマギの話をしたところで30分終了です。


3411字なので、やっぱり6000文字後半が今の私の限界な様です。もっと詰め込める様に勉強しておきます。

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